Sの先
バルーン(とある世界線の記者)
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やっと仕事から開放された、夜と言うにはあまりに遅い時間…最近よく見る題材のアニメを横目で眺める。
「異世界転生…ねぇ」
鼻で笑う。転生はしていないものの、似た様な経験をしたのはこの世で私ぐらいなものだろう。テレビの中の主人公は不思議な力を手に入れ、魔法の様に問題を解決していく…メイベルは明日の仕事の為にテレビを消した。
今でもあれは夢か何かじゃないかと思う。取材の為に街を歩いて迷い込んだ妙なホテル…心躍る不思議な体験であったが、そこから帰ってきた私を出迎えたのは驚く程変わり映えのない現実だった。時計を見るとホテルを見つけた日の夜だった。無断早退してしまった事に怒られたが…本当にそれだけ。何も、何一つ変わりはしない。
「それにしても…お前、変わったな」
「えー…そっすかねぇー」
メイベルのオフィス。パソコンに向かいキーボードを小気味よく叩いている横で、疲れた表情の中年男性が画面を覗き込む。フワリと珈琲と煙草の臭い。
「俺、お前はリアリストだと思ってたよ。まぁ、コラム欄の担当を外注する手間が省けたし、コーナーも人気でいいんだけどさぁ…これコラムって言うより…」
「ファンタジー小説って言いたいんでしょ?先輩」
答えの代わりに缶珈琲を啜る音が帰ってきた。
『白昼夢』…新しく小さなコラム欄で始まったコーナーである。ある少女が仕事に疲れきった友人の為に夜な夜な不思議な世界へ旅立ち、面白い話を持ち帰って聞かせるというのがお決まりのストーリー構成だ。
「主人公の友人ってのが新聞記者で、不人気だった会社の新聞が主人公の話を記事にして売れていくなんて…おいおい、俺らへの嫌味か?」
あははは…二人の笑い声が部屋に響く。
「俺もネタ持ってきてくれる友人が欲しいもんだ!そしたらもっと煙草をゆっくり吸えるのによー…しっかし…お前が小説書くのも意外だし、才能があったのは驚きだ。政治家の粗探しに躍起になってた頃から想像出来ねぇ」
「先輩が褒めるなんて新人の自分が知ったら、もっと驚くでしょうね」
「まぁな。小説は分野外だが、人気があるのは何となくわかる。なんつーか…妙にリアルなんだよな…」
飲み切った缶を机に置く。
「主人公の目線で書いてんだろうけど…まるでその友人の記者が書いてるかのような…ファンタジーなのに、実際に取材入った様な生々しさっつーか…まぁ、書いてるのがお前だからな、記者の癖が出てるだけかもだけどよ」
そう言うと先輩は身支度をそこそこに取材へと向かった。メイベルは缶捨てて!と立ち上がったが遅かった。
「…才能はないんだよな」
『白昼夢』は想像の産物ではない。やはり先輩の言うようにどこまでもリアリストなのだ。脚色こそすれど、あの五回の夜がなければこんなものは書けない。メイベルはゆっくり座るとモニターに目をやる。
『幽霊は居ないの?』
少女の台詞だ。三つ編みの少年が答える。
『幽霊は居ない。死は全ての世界で絶対だ…。魔法だって死には勝てない』
もうコーナーも長く続き、あと少しで体験した事を書き終えてしまう。メイベルは大きくため息をついた。
「…本当に私は変わらないね、パメラ…ホテルに行く前も行った後も…こうやって形を変えて縋ってるだけで…」
でも、もうそのストーリーも終わる…。画面の中の台詞が自分に刺さる。どうやってこのコーナーを締めくくろう。私は…私はどうしたいのだろう。
答えが出ないまま『白昼夢』を書き、仕事をし、何度も何度も夜を迎え、メイベルはいつも通り糸が切れたようにベッドに横たわる。
『ねぇ、パメラ。明日の雨は凄いらしいよ』
―本当?私の病室には窓がないから…お外の天気教えてくれてありがとう。あ、メイベル、私ね、昨日少し変な夢を見たの―
『どんな夢?』
―私がね、色んなところに居るんだよ…紙の中、言葉の中、メイベルやお母さんや…皆の中で…―
こんな日に遅刻とは、自分でも嫌になる。でも、今日は大事な日。パメラの誕生日、そして…
「白昼夢、最後だな!お疲れさん!…君ぃ、もう少しコラム担当してみないかね?」
「部長、御期待頂きありがとうございます。…あーでもやっぱり自分には才能ないって言うか、もう無理ですよ」
そうかねぇ…と残念そうにボヤく部長を尻目にメイベルは急いで自分のデスクに向かう。コラム以外の仕事は周りの先輩方にお願いしてある。にこやかに高い煙草を吹かして先輩が手を振る。さぁ、書くぞ、最後のコラム。
…
もう部屋に自分一人だと気づいたのは5時間前か。コラムにこれだけ時間使ってたら首になるよな…メイベルは窓の外を眺める。
「こんな贅沢に記事書いたの…初めてかもね」
メイベルの目には朝日が反射し輝いていた。誰にも聞こえない小さな声で、サヨナラと呟いて…
『…知ってるよ?ここの人は炎を出したり、花弁を無限に生み出したり、機械に意志を入り込ませられる魔法使いが居るのを。私の世界じゃ考えられないような力…それより凄い魔女ってのも居ること。でも…』
少女は静かに微笑む。
『死はそんなとんでもない力よりも絶対だって事。でもね、そんな絶対でも…存在は覆せない。言葉の中に、記憶の中に私は居るの。きっと、幽霊は居るんだよ』
〈白昼夢 終〉
Noisy:END…
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