月の光で晩餐を【番外編】
Bart Howard
月の光で晩餐を【番外編】
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1階ロビーの少し奥の中庭を囲む一室。ロビーの大窓からでは見えない中庭の池が美しく見える…これが我がホテルの自慢の食堂だ。今宵も美味しいディナーに舌鼓をうち、楽しい会話とお酒に酔いしれる…。そんな中で、給餌の指揮をとるのは我らが翠のメイド。ロゼもパリッとしたスーツパンツに真っ白のシャツ、シンプルな黒のエプロンを身につけ、給餌をアシストしている。…大きな笑い声だ…振り返るとロゼと同じ服装のヴィレムが皿を抱えたままお客様と談笑している。
オーナーの呼び掛けにイザベラが小走りして厨房へ。メインの肉料理も終わり、桃のソルベが白い冷気をくゆらせながら手渡される。そろそろこの楽しい食事の時間も終わるのだ…デザートをテーブルに届けながらホッと胸を撫で下ろすイザベラ。しかし安堵も束の間であった。
「ねぇ、ちょっといいかしら?」
少し冷たく、威厳のある声。声に顔を向けると、品のある服装に高そうな装飾品、美人だが厳しい顔つきの女性がこちらを見ている。イザベラは臆せず、要件を尋ねた。
「せっかくの食事に音楽はないの?…ほら、あそこ…大きなグランドピアノもあるのに演奏がないなんて」
「…申し訳ありません」
言われてみれば確かに。イザベラがこのホテルに流れ着いた時には既に置かれているグランドピアノ。お飾りにしてはかなり本格的なものだ。しかし、オーナーが弾いたところを見た事もないし、演奏家を呼び寄せた覚えもない。何故食堂にピアノがあるのだろうか…。
「…まぁ、いいわ。呼び止めてごめんなさいね」
はぁ…と溜息を着いて早々にデザートを食べると、客はとっとと席を立った。
「…うわぁ…感じ悪ー」
いつの間にか後ろに立っていたロゼがイザベラにだけ聞こえるようにボヤいた。
その後も問題なく食事が終わり、皿洗いに片付け、ハビエルと施設と施錠の最終確認に、ヨルの部屋で次に読む絵本探し…全ての仕事はし終え後は寝るだけなのだが、何となく寝れない。そうだ、今日の月は綺麗だったな…せっかくだから中庭の池に反射した月が見たい。イザベラは食堂へと向かった。
「…あら」
誰も居ないと思った食堂から声がして、思わずイザベラは叫びそうになった。波打つ胸を抑えて目を凝らすと、あの時の女性客だ。
「食事の時の貴女ね…。ごめんなさい、あの時少し冷たい態度だったかも。気に触ったなら謝るわ」
「いえ、私の事はどうぞお気に為さらず…」
二人は黙って水面に揺れる月を見詰めていた。
「私ね…」
急に話し始めた客に、イザベラは顔を向ける。
「私の世界線で一二を争う貿易商のオーナーなの。あの日…私は自分の夢を選んだ。だから満ち足りた今がある」
ゆっくりとピアノの方を見詰めた。
「彼の夢を選んだらどうなってたのかしらっていつも思うの…港近くの小さなバー…父から受け継いだ貿易ギルドを大きくしようと奔走してた私の唯一の憩いの場だった。そこはいつも駆け出しの音楽家がデビューを夢みて毎夜伴奏をしているの。沢山の人の音楽が私の楽しみだった。特にね、三人組の若いバンドマンのジャスは最高だった。私と似た歳なのに、才能とセンスに溢れてて…当時の私はすぐにファンになったわ」
まるで少女のようにはにかみ、顔は薄く赤らんでいた。
「彼らが私を認知するのに時間はかからなかった。そして、彼らの才能に世界が注目するのにも…。プロとしてスカウトの話が来たらしくてね…ファンであり、メンバーの一人と恋仲だった私は共に行く事を打診されたの」
そこまで話して口を噤んだ。聞かなくてもこの先は裕福な姿の彼女を見れば分かる。
「…明日の夜でチェックアウトなの。明日は静かに食べるから、気楽にしておいて。じゃあね、おやすみなさい」
客はイザベラに手を振って廊下の闇に消えた。
「…ほほぉ…ドラマですなぁ」
早朝、本格的にホテル業務に入る前の少しの暇。イザベラの前には微笑むオーナーと相変わらずブスっとした顔のロゼ。
「何故僕の部屋で話すんだ…僕の部屋なのに…」
「仕方ないでしょ?オーナーにお話しようと思ったらロゼさんのお部屋に居らっしゃるっていうのですもの。私だって用があるのですから」
あの晩の話をイザベラは早速オーナーへと話した。ピアノの存在も気になるところだった。
「素敵なピアノでしょう?昔から弾くのが夢でして!」
「夢ってだけであんな大きなピアノ置いてるの!?給餌に邪魔だし…!無駄だなぁ〜!」
オーナーは恥ずかしそうに頬をかく。あまりに率直な言葉にロゼを睨むイザベラ。
「そうなのですよね。私にはピアノの才能が無くてですね…ロゼさん程は…」
「なっ!?」「え?」
顔が引つるロゼに、驚くイザベラ。
「夜な夜寝静まったのを確認して、食堂を締め切ってピアノの練習なさってますよね?…いやぁ、ロゼさんにピアノの才能があるなんて、私はあの美しい調べに感動致しましたよ!」「え!?ええ??」
只々驚くイザベラ。毒舌のロゼがピアノの旋律を…?ロゼはバツの悪い顔をしている。
「…だ、だって勿体ないだろ…!単なる遊びのつもりだったんだよ」
「あぁ!!」
オーナーは急に大声を出して立ち上がる。そして走り去ったかと思うと大きな包みを持って戻ってきた。
「ウッドベースですか!?」
「流石、イザベラさんは博学ですね。ふふふ…ピアノはダメでしたが、ベースは昔から嗜んでますのでね。これなら自信がありますぞ」
「ふふ、でもお二人じゃ花がありませんわ。やはり高音のアクセントがないと!」
イザベラはフルートを吹くジェスチャーをした。
「お部屋に古い笛があります。花嫁修業で口が痛くなるほど吹いてきましたから、お二人の演奏に負けません」
「…はぁ?何勝手に盛り上がっ」「素晴らしい!!!」
ロゼの目が白くなる。不味い、この話の流れは避けたい。
「いやいやいや、今まで食事中の演奏なんてやってこなかっただろ?それにこの三人が伴奏に駆り出されたら誰が食事の面倒を見るんだよ!!??」
「お話通り、お任せ下さい!ロビーには予めクローズの予定を告知してますし、ヨルさんも何とか料理ならやって下さるそうです!」
「指揮は任せな。単に喋ってるだけじゃねぇぜ?スタッフの中で1番客を見てるのは俺だってところ見せてやる」
「メニューは…は、把握…しました。問題…ないです。機械が火力と時間を正確に…や、やってくれます…。私は…制御するだけですから」
…空気を読め…ロゼは三人を睨んだ。もうこうなるとあの二人を止めるものはない。リハーサルだ!と腕を捕まれ引っ張られるロゼ…はぁ…小さなため息がベースの音でかき消された。
程なくしてついに夕食の時間が訪れた。いつものスタッフではない事に客は驚きつつも、ヴィレムの軽快なトークと生真面目に仕事をこなすハビエル、厨房から調理の音とは思えない機械音を鳴らしながら機械に指示をするヨルのお陰で、滞りなく食事は進んだ。…時間だ、ヴィレムとハビエルは食堂の照明を落とした。今日は満月…まるでスポットライトのようにピアノの元に集まる三人を照らした。
「…ようこそお客様。当ホテルに御宿泊、心より感謝致します。今宵は当ホテル自慢の食事に最高の音楽を…ホテルスタッフによる即席3人バンドの演奏をお聴き下さい」
食堂は一気に拍手で包まれる。ただ一人…拍手も忘れ、目に涙を溜めている。
『俺達もここのバーで出会ったんだ。たまたま演奏できる楽器が違うからノリでコラボしたんだけど…運命だよな!音楽の女神のお導き?なんて…でも、君に出逢えたのは運命だって、俺は信じてるよ…』
月の光がすっと地面に落ちるような澄んで鋭いフルートの高音が先陣を切る。続いてピアノが月夜の食堂を支配し、その中で跳ねる兎のような弦を弾くベース音。
「…FLY ME TO THE MOON…!?」
この世界線でも知られているのか…それよりも…
「彼が演奏して…私がよく…歌ってたっけ」
フルートを口から外し、歌い上げるイザベラにかつての自分を重ね、女性客はホテルで最後の酒を傾けた。
「最後で最高の夜を…ありがとう」
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茶屋道るな様、弐藍様…ホテルの仕事の中での一コマをありがとうございます!
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