guest2_ 五夜 翠ロザリオのメイド
ナブナ n-buna
guest2_ 五夜 翠ロザリオのメイド
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『幽霊は居ないよ』
ロビー奥の大窓横にあるソファーに深深と座るメイベル。昼を過ぎ、少し傾いた日光が優しくメイベルの頬を撫でている。窓から見える美しい中庭には穏やかな風に揺れる沢山の草花。時折日光を反射し、初夏の暑さすら爽やかなこの風景を彩っている。
「…パメラ」
彼女に依存なんてしてなくて…分かってた。私は会う事で許されたかっただけなんだ。私がここに迷い込んだと言うだけで、彼女がここに居るかもなんて考え…無理があるのはわかってた。それでも、この風景の様にゆらゆら揺れて微笑むあの老人を見た時…彼が亡霊と聞いた時…私は…。日光が撫でる頬に、スっと光が流れ星のように走って、顎からポタリと落ちた。
「貴女のせいじゃないよって…会えて嬉しかったって…言われたいと思ってる私は何て…自分勝手で保身ばかり気にしてるのだろう」
あの日の記憶。有名な新聞に自分が載っていると、新聞を握り点滴が刺さったままの細い腕を振り回して興奮するパメラ。その笑顔は、目は、息遣いは…生き生きしてた。私の記事に載って喜ぶ奴はまず居ない。汚職、怠慢、癒着に裏金…政治家から何度怖い思いをさせられてきたか。それでも闘い続けた私のペンと手帳の中に咲いた初めての感謝だった。
『ありがとう!メイベルの記事、私や先生や病院の仲間の言葉をしっかり伝えてくれてるよ!…えへへ、私の写真…皆に見られると思うと恥ずかしいなぁ〜』
おどけて照れ隠しするパメラの顔を思い出し、ついに耐えられずに両手に顔を埋めた。
「…ごめんなさい…」
〜♪
…最初は風の音かと思ったが、顔を伏せて視界が塞がれている分、鋭くなった聴覚は微風のような可憐な歌声を捉えた。空いた窓から風に乗り透明な歌声はメイベルを慰めた。ゆっくり顔を上げる…その瞬間強い風が吹いた。
「…きゃっ!」
歌声の主の小さな叫びと、純白のフリルと深緑のメイドドレスが風に煽られ窓の端から見えた。どうやら中庭の奥、見えないところに人が居るようだ。
「そういえば、まだ話を聞けてない人が一人居たな…」
この聴き込みは無意味だ…分かっていても立ち上がる。私は新聞記者、最後の最後まで…それが希望にトドメを指す話であろうとも…。メイベルは中庭へ向かった。
「…あぁ、良かった…。ふふ、貴方の立派な枝のお陰で洗濯物が泥だらけにならずに済んだわ、ありがとう」
庭の大木を撫でて独り言を呟くメイド。そしてまた鼻歌交じりに洗濯物をロープに掛けて干していく。ザッザッ、芝を踏み近寄る足音に驚きイザベラは手を止めた。
「お客様!?ここは従業員以外立ち入り禁止エリアです」
イザベラは目を丸くして注意した。全ての窓から死角になっている中庭の一角。ここで洗濯物を干しているのだから、客には見せられない風景だ。
「…あぁ、ごめんね。風で靡くエプロンとスカートが見えたから、ここに居るかなって。歌、とても素敵だね」
メイベルの言葉で一気に顔が真っ赤になるイザベラ。いつもキリリとした態度が一変した。
「…えっ、聴こえてました?…あぁぁ…お恥ずかしい…」
両手で顔を隠し、項垂れながら顔を振っている。余程恥ずかしいのだろう。メイベルは慌てて言葉を続ける。
「盗み聞きするようでごめん。でも本当に素敵だったんだ…鼻歌歌いながらお仕事かぁ…」
真っ白に洗われた客用のローブ、まるで舞台の照明のように強くキラキラ光る日光、そして洗濯物を抱えた可憐な深緑のメイド…
「とても、素敵だよ…」
あぁ、嫌だ…情緒が不安定だ…。メイベルは心の中で呟いた。本当にその風景がとても美しいと純粋に思った。そう素直に思えてしまったのだ。私は…何故、そこに行けなかったのだろう。自らの足で街を走り回り、己の握ったペンを紙に走らせ続けた…私だって必死に働いてきたのに…目の前の美しい風景に程遠い自分に心底嫌気がさしてしまう…その気持ちに気づいてしまう…。
「…お客様」
メイベルの頬に良い香りがした。また流れ出す涙をハンカチが優しく拭ってくれていた。顔を上げるとイザベラが心配そうに見詰めている。
「ごめん…あぁ、情けない!泣き顔見せに来たわけじゃないんだ。聴き込み…ほら、前に忙しいって断ったでしょ?今日はどう?話聞かせてくれない?」
大人が泣くのは余程の事だ。なのに聴き込みをさせてくれという…イザベラは困惑と混乱の中で、小さく頷いた。
カラン…グラスの中の氷が回る。黄色の世界に星の様な泡が静かに登る。室内に戻った二人、イザベラはメイベルを部屋へと招き入れ、椅子に座らせた。
「どうぞ」
質素で小綺麗なテーブルにイザベラはレモネードを注いだコップを二つ置いた。
「以前はお話をお断りして申し訳ありませでした。何をお話しましょうか?」
「この子を探してて…」
写真を差し出しながら話す言葉が詰まった。居ないんだ、どの世界にも…イザベラの顔を見ると想定通りの表情をしている。答えもきっと…
「すいません…ちょっと…存じ上げませんね」
想像した通りの答えにメイベルは穏やかに微笑み、細く息を吐いた。写真を仕舞おうと手を伸ばすが、それより先にイザベラの手が写真を掴んだ。
「…ふふっ」
「…?何かおかしい物でも写ってた?」
「あ!申し訳ありません…。いえ、何もおかしい物は写ってないです。けれど、何だか…」
またイザベラはクスクスと笑い出す。その顔は何処か懐かしげだ。
「私、これでも昔貴族の人間だったのです。私の世話や教育は侍女達がやってくださいました。特に婆やは私の実の親のような存在です。毎日のお世話の中でも、婆やが沢山の絵本の中から一冊を選び出し、寝る前にお話ししてくれる時間が大好きで…今思えばあれも英才教育の一環だったのでしょうが」
イザベラは窓へ顔を向けた。その顔はゆっくり沈もうとする赤焼けに照らされている。
「皇へ嫁がせようと、お父様が画家に依頼して私の絵を沢山描かせていました。どれも無表情な私が描かれていましたが、唯一眠る前の私の絵は笑顔でした。それこそ」
イザベラは写真の中のパメラを指さした。
「彼女のような笑顔でした。きっと、彼女はこの瞬間をいつも楽しみにしてたのでしょうね。…本当に、同じ顔…」
仕事中、いつも難しそうな顔で働く彼女と思えない程、柔らかい微笑みで笑うイザベラ。メイベルは俯く。
「…だったらいいな」
「…ええ、きっとそうですよ。もう、婆やは亡くなってしまっているのですが…今でもあの時間を思い出すのです。きっとその方もお客様を思い出していますよ」
早く見つかって会えるといいですね…と言葉を続けようとしたが、夕闇で暗くなった部屋に小さくなって震える人影を目の前にして口を噤んだ。…あぁ、もう夜が来る。
「ここは私の部屋で客室より狭くて申し訳ないのですが…もし、もしよろしければ一晩話しませんか?冬用の毛布を床に敷けば、私の寝る場所は確保できますから…ね?」
とっぷりと夜に落ちた世界に、ホテルの部屋がランプの様にぽっと灯りをともした。
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全てのが終わりました。
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