guest2_一夜 嫉妬の烙印者
バルーン
guest2_一夜 嫉妬の烙印者
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ロビーの窓の前で狼狽える新規の客。オーナーはゆっくり歩み寄って行く。ガシッと肩を捕まれ、いつも静かな微笑みで細くなる目が大きく開いた。
「ね、ね!オーナー!!客に声掛けるんだろ?俺に任せてよ…え?大丈夫、大丈夫!!俺って平和主義だから。ままま!止まって止まって」
ニタァッと人懐っこい笑顔でヴィレムがオーナーの足を止めた。目の前に立ちはだかると、オーナーの胸に両手を当てた。いや、しかし…と戸惑うオーナーを無視してズンズン客の元へ歩き出した。
(微弱…けど嫉妬の影が見える。…欲を言えばもっと欲しいんだけどな…まぁ暇してたし、番犬としてもここは出るべきでしょ)
ヴィレムの口元に薄い笑みが浮かぶ。
「おっきゃーくさん!」「っひ!」
リーリエを迎えた時と同じ人物と思えない程の笑顔と元気な声で客に声をかけるヴィレム。彼を見て客は改めて悲鳴を上げる。コスプレかと思われた耳や尾は作り物と説明できない自然な毛並みと動き。近くで見るほどこれが「自分が置かれている現実」だと突き付けている。
「…んー、俺は従順で可愛い犬だよ?…他のお客さんは喜んでくれんだけどなぁ…。まぁ、ゆっくり話しようよ!外の空気でも吸ってさ!ね?ね?」
そういうとまた玄関を抜け、2人は外に出て行ってしまった。大丈夫でしょうか…と心配そうなオーナーを尻目に「…可愛いが追加したな…」と変に冷静な突っ込みをするロゼ。また静まり返ってしまったロビーだけが残った。
イザベラの手入れが行き届いた美しい玄関前のウェルカムガーデン。そこにある小さなベンチにヴィレムは客を誘導した。
「…あぁ…ほ、本当に…街も無い、タクシーも、臭い空気も…何もかも…」
驚きながらも時間がゆっくりと彼女の理性を戻しているのだろう。そう呟くと客は項垂れる。
「ここは天国なんだろうか?もしかして、気づかないうちに車に轢かれてたとか、通り魔にあったとか…?」
客はハーっと長い溜息を吐き出して言葉を続けた。
「…病気で死んでたりしてねー…ははは。もしかしたら…あの子がここに居るのかも…それなら、悪くもないかな」
誰に向けた訳でもない独り言。しかし、ヴィレムはちゃんと聞き入って居たのだろう。人懐っこく揺れる尾はいつしか動かなくなっている。嫉妬の情が微かに強まるが、何かの強い感情に邪魔されてるのか、煙のようにウネウネと揺れている。
「…残念、ここは天国じゃない。俺もここに流れた時は死んだのかとも思った。でも、魔女の烙印は胸にしっかり浮かんでた。故郷であったことも、魔女に魅入られた事も…夢じゃなかった。」
なにか吹っ切れたのか、客は笑い出す。
「…はは、あははは!…魔女に、烙印…?なんだかRPGみたいな話だなぁ!…でも、こうなった今、それを飲み込まないといけないんだろうね」
先程の狼狽えが嘘のように冷静で鋭い目。そして深く何かを考える表情。
「…ま、私の現実に戻った所でろくなもんじゃないし…仕事ももうなんだかねーって感じだから…このままでもいいけどさ…かと言って、ここに閉じ込められるのも不味いし…ここを抜け出す方法って知らない?」
「…え?チェックアウトは客が決めるんじゃないのか?俺はずっとそう思ってたけど…」
「あぁそういや、皆ここがホテルで私を客だって言ってたな。待っていたなんて言われてもなー…予約した覚えもないんだけど」
「良いんじゃねぇか!?その…仕事ってのも、お客さんの世界線にも戻りたそうでも無いし…少しぐらい休もうぜ?俺と話すなんてどう?」
客は大きく息を吸って顔を上げる。そして笑顔で答えた。
「…それもいいね。ちょうど騒がしい街がうざったかったから…丁度いい。あんた、面白いね。私はメイベル…あんたは?」
「俺はヴィレム!」
…そこから、唐突にこの世界線に流れてしまったメイベルは時間を持て余している分、長い時間をかけてヴィレムと話をした。彼女の仕事のスキルが活きたのだろう、ヴィレムとの話で色々とわかった。俄には信じ難いが、世界は沢山の世界線があり、世界線が交わったり「鍵」というものがある場合等で移動する事ができる事。そして、この世界線は、メイベルの世界線と違い人間と科学だけの世界ではない事。ヴィレム初め、そのほかのスタッフや客はこの世界線出身ではない事…。
「あー、ひっさしぶりに喋りまくった!…ねぇ、俺の話は十分だろ?おねーさんの事も教えてよ?」
今は小さく揺らめいているだけの嫉妬を見つめ、ヴィレムはニヤリと笑う。
「…あぁ、確かに質問攻めは良くないね。話せる事なら答えるよ」
「えへへ!いいねぇ!…んー、じゃあおねーさんはさ、何の仕事してたの?俺から話聞くの上手いしさ!きっと仕事も有能なんじゃない?」
無邪気の中に薄い洞察の目をした笑顔。…家庭の匂いがしない。彼女から香るのはタバコやコンクリートの無機質な匂い。ならば、嫉妬の根源はだいたい仕事かその辺だろう…ヴィレムは答えを待つ。
「ヴィレムっておちゃらけてるけど、結構鋭いとこあるね。うちで働いたらいいのに。…新聞…ってこの世界にはある?世の中の出来事を紙に書いて皆に買ってもらう仕事。私はその世の中の事を調べて記事を書く『記者』だったんだ。…有能ねぇ…昔の私なら、胸を張って肯定したかもな」
メイベルは苦虫を噛み潰したような顔を誤魔化すように笑う。確かに嫉妬の影が膨らんで見える。これは来たぞ!…ヴィレムは話を促す。
「…今じゃ三文記者だよ。一面を飾るスクープ取材に参加した事だって、独自取材が社内で表彰された事もある。でも…もう…金の為に、金になる話を追うだけの駒だって自分の真の姿に気づいちゃってさ…ヤル気出ないんだよね。今となっては勤務態度を叱られる問題児だよ」
「うんうん、それで?何でそんなヤル気が…」
「あのさ!そういえば、あのフォログラム…じゃないんだよね、あのお爺さんって…?」
急に話を変えられ、呆気に取られたヴィレムは質問に答えるしかなかった。
「あ、あー、オーナーの事か。オーナーはフォロ…何とかってんじゃないよ。亡霊なんだ、既に肉体は死んで無くなっているようなんだけど」
明らかにメイベルの顔が変わったのがわかった。…よく分からないが、そんな事はいい。彼女の嫉妬とは何なのか、それが聞きたいのに…
「オーナーの事よりさ、何で仕事やる気失くしたの?もっと凄い人が出てきた…とか?」
ヴィレムの質問に斜め上の返答が帰る。メイベルは胸ポケットから写真を取り出す。
「ここは私の世界線と世界の成り立ちが違う…!そして、私もここに来れたなら、もしかしたら…この子がここにいるかも!探してくれない?」
またもや呆気に取られるヴィレム。
「…え?あー…探すのか。いいぜ、探してやるよ!や…」
ヴィレムは喉を詰まらせたように喋るのを辞める。そしてまたゆっくり言葉を吐いた。
「…もしあれなら、中の奴らにも聞いたらいいんじゃねぇか?」
「…!それもそうだよね!ありがとう。ここに来た時はどうしようかと思ったけど、なんか目的が出来た。…ふふ、昔に戻ったみたい!面白くなってきた」
そういうと、さっさとホテルへと戻ってしまった。
ベンチに一人、ヴィレムが座っている。
『ヴィレムさん、これを202号室のお客様に届けて下さい。大事なものなので…約束ですよ』
『ヴィレムさん、午後お暇ですか?私も暇なので一緒に焼いたクッキーを食べましょう!約束ですよ』
『ヴィレムさん、どうしてもオーナーの仕事を手伝わないといけないので…僕が居ない時の受付頼みます。粗相のないように、約束ですよ!』
ヴィレムは苦悶の顔を浮かべる。
『『『約束したじゃないですか…』』』
俺が守れる約束は魔女から命令された嫉妬探しだけ。俺は神の嫌われ者だ。俺は…約束が出来ない。自分が欲する事はできるのに、人から頼まれ約束を交わした途端、それは必ず記憶から消え、約束が破られると同時に記憶へと戻る。だから…
「番犬なんてのも、頼まれてもないし…勝手にいる俺を許してくれてるオーナーあっての居場所だ。悪ぃな…」
正しいのかも分からない勝手な生き方…それでも、今を生きている。ヴィレムはベンチから立ち上がった。
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一夜が終わりました。
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