Pray
十六夜マリオネット
Pray
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Episode.6 「祈りの残滓と██人形」中編
エステラの背中が、遠ざかっていく。レティシアのことを護ってくれた大好きな人が、届かないところへ行こうとしている。
「なんで……待って!エステラ!」
そう叫んで駆け出そうとしたレティシアは、ルビーに羽交い締めにされた。人形の力は、人間よりもずっと強い。腕の中から抜け出そうと藻掻くも、前に進むことは叶わない。
「離して!私……エステラのところへ、行かなくちゃ!」
静かに首を横に振られた。レティシアとよく似た顔が、すぐ近くにある。
彼女は、お父さんが作った人形。改めてそう認識し――その事実が、そしてレティシアの行く手を彼女が阻んでいることが、苛立たしくて仕方がなくなる。
誰かに対して、本気で怒りの感情を覚えたのは初めてだった。
「彼女は、貴女の望みを叶えようとしている。裏切ってもなお。だから、邪魔するべきでない」
無機質なその声も、怒りの燃料にしかならなかった。眼前では、紅い灯火が消えることなく燃えている。エステラが、燃える塔に向かって進んでいく。レティシアの伸ばした手は、もう届かない。
「エステラは……私を裏切ってなんかないっ……」
振り向かないエステラに、声が届かないのだと理解したレティシアの声は酷く震えていた。はぐれた幼い少女のようだった。
その言葉に、ルビーは不思議そうにその紅い両眼を細める。レティシアの桜色より、ずっと濃い瞳。
エステラが、感情を持っていなかった。その事実は、レティシアにとって衝撃だった。
終戦の前から今日まで、決して長い付き合いではなかった。知らないことがあったとしても、何も不思議ではなかった。レティシアが勝手に、何でも話してくれているものだと思い込んでいただけ。
エステラは、自分に感情があると言ったことは一言もなかったけれど――それでも、ショックだった。
けれど、それを咎めるつもりは一切なかった。
エステラに感情があったとしてもなかったとしても、レティシアがずっと護られていたことは事実だ。
エステラがレティシアを護ろうとしてくれたことが、たとえ元々仕組まれていた感情擬きであったとしても。
レティシアがエステラを大切に想う気持ちに、何ら変わりはなかった。
エステラがレティシアを真っ直ぐに見つけて告げる言葉に、嘘なんてなかった。彼女が感情を持たないのだと知っても、レティシアは純粋にそう信じられたのだ。
「……お願い。離して。私は、エステラのところへ行きたい」
レティシアが、ルビーの紅い瞳を見据え、静かにそう告げた。
レティシアのことを護って欲しい、とエステラに頼まれて。最期のその願いを、ルビーは叶えるつもりでいた。
レティシアは、ルビーの製作者の娘だ。一目見た瞬間に分かった。
普通、人形技師は、自分の娘が虐げられないよう、自分の娘に似ないように人形を作る。浮世離れした髪色の人形が多いのはその為だ。
けれど、レティシアの父は違った。虐げられるかもしれない、ということに構わず――彼は、レティシアそっくりの人形を、その手で作り上げた。
それにどういう意図があったのかは分からない。だけど、そのおかげでエステラはルビーにレティシアを託すことが出来た。
彼は、この状況を予言していたのだろうか、なんて有り得ない絵空事が頭に浮かぶ。
ルビーのレティシアに対する感情は「羨望」だった。ルビーの持ち得ない、感情を持つことへの羨望。
大戦中、ルビーは部隊の指揮官を務めていた。人形にしては珍しいことだった。
厳しい規律に縛られた軍隊にも、規律を乱す者は一定数存在する。
感情のなかったルビーは、その者たちを理由を問わずに切り捨てた。物理的に、である。人形も人間も、両方処罰したような気がする。
その考えが、ここに向かう途中に変わったのだ。見覚えのある、紫髪の気高い人形――フィオナ、と名乗っていた――と、戦争が終わって初めて語らった。
彼女は、大戦中に人を殺したことを後悔している、と言っていた。彼女には感情があった。正解を探すために月の塔を目指すのだ、と言っていたけれど――感情のないルビーには、その思考回路すらも理解出来なかった。
けれど、もしかすると自分は間違っていたのかもしれない。そんな風に、ぼんやりと思えるようになった。
だから、感情を欲したのだ。理解出来ないものを理解するために。自分の犯したかもしれない罪を、自分で正しく認識するために。
そして、レティシアの持つ「相手を想う気持ち」も、ルビーには到底理解出来ないものだった。
生まれてから直ぐの朧げな記憶の中に、レティシアはいない。周囲の言動を見るに、恐らく別の場所に隔離されていたのだろう。あの時代、武器であり道具である人形を想起させる、美しすぎる少女は嫌悪の対象だった。
レティシアは、きっと感情を持っていながら愛を知らずに育ったのだろう。
愛を知らずに育った少女が、自分のために炎の中を進む感情のない人形のために、危険を冒すことを――否、自ら死ぬことを選んでいる。
その感情はきっと、愛だった。
羨ましかった。レティシアもルビーも、お互い愛を知らずに育ったのに。レティシアはどこかで、その感情を知ったのだろう。
引き止めなければと思った。それが約束だったから。引き止めたいと思った。羨ましかったから。
だけど、「エステラの元へ行かせてあげて」という自分自身の声を、ルビーは確かに聞いた。
――嗚呼、これが愛なのだろうか。
正しくないことだ、すべきでないことだと分かっていても、真逆の答えを選ぶように囁く自分がいることが。
誰かを一途に想う少女を、真っ直ぐに応援したいと願う感情が。
世間一般的には、別の名前がつく感情なのかもしれない――否、そもそも芽生えたこの想いは、感情ですらないのかもしれない。
だけど確かに、ルビーはこの想いを愛だと思った。
だから。
レティシアを拘束していた腕から、力を抜いた。そっと彼女を解放した。
驚いたように、レティシアがルビーを見つめる。
「早く行ってください」
静かにそう告げる。戸惑った顔のレティシアが、唇を噛み締め。小さく頷いて炎に向かって走り出した。
その小さな頼りない背中を見送って。ルビーは祈った。レティシアが、エステラの元へ辿り着けますように、と。
ルビーは、塔の最期を見届けるつもりで、崩壊する塔から数歩後退した。
履いていた軍靴のヒールに、コツン、と何か硬いものが当たる。
下を見ると、チェーンの切れた十字架が、消えかけた炎を宿して転がっていた。恐らくは炎上する塔から落ちてきたものだろう。塔の足場だった場所は、誰かに切り裂かれたかのように酷く損傷しているから。
誰かの持ち物だっただろう、その十字架を拾い上げ――黄金と、目が合った。
崩れ落ちる塔を背景に、大きな鎌を持った鮮やかな紅髪の少女人形が動いている。
それを認識すると同時に、ルビーは駆けだしていた。
彼女のことは知っていた。エレノア。一度遭遇したことがある。狂ったように殺戮を続ける、感情のないような人形。壊れてしまった人形。
エレノアはルビーに気付いていないかのように、再び塔の内部へ戻ろうとした。エステラとレティシアのいる、白い月の塔の内部へ。
させない。
強い想いが湧いた。絶対に、止めなければ。強くそう思った。
炎に向かって全力で駆け、足を引き摺って歩くエレノアの肩を掴む。光のない琥珀と、光のない紅玉が絡み合う。
エレノアが鎌を振り上げるのがやけにゆっくりと見える。怪我をしたのか彼女の足取りは重いが、そんなことに構わず全力で殺しに来ている。
簡単に殺されるわけにはいかなかった。せめて、時間稼ぎをしなければ。レティシアが、エステラに追いつくまで!
馬鹿なことをする、と自分が笑っている。それでも構わなかった。燃えるような衝動がルビーを突き動かしていた。
鎌がルビーの首に届く寸前、怪我をしていない方の片足を自らの右足で絡め取った。足場の悪い塔の中。エステラはバランスを崩し手元が狂う。首を刎ねるはずだった大鎌はルビーの背中を切りつけるだけに終わった。
バランスを崩したエレノアに向け、手元の銃を抜き乱射する。狙いなんて付ける余裕もなかった。最低な武器の使い方。指揮官としてその場にいたのなら迷わず処罰していた。
ルビーの銃弾を受けてもなお、エレノアは何事もなかったように平然としている。
大鎌の二撃目が迫る。銃を取り落とし、暴発した銃弾が彼女の額を撃った。エステラの動きが急激に鈍る。それでも大鎌は止まらない。避けられるはずの速度なのに、疲弊しきったルビーの身体は動かなかった。
ルビーが肩越しに全身を切り裂かれるのと、エレノアの動きが完全に止まるのは、ほぼ同時だった。
エレノアの身体が崩れ落ちる音が微かに聞こえた。
ルビーは、レティシアを護り抜くことが出来た。そのことに強い安堵を覚えた。
レティシアを頼む、というエステラの願いは、中途半端にしか叶えられなかったけれど。
自分の感情は、探していたものは、最期まで分からないままだったけれど。
それでも、後悔はしていなかった。レティシアと出会えて良かった。
そんな安堵を最期に、ルビーの意識は闇に沈んだ。
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🌙ねえ 私が判ったら
誰も泣いてくれないのかな
終わっちゃうのかな
🎟ねえただ 消えてしまえたら
明日は楽になれるのかな
その手でどうか
🌙🎟離さないで 私を奪ってよ
🎟消えない罪に 消えない罰を
約束だから
🌙🎟忘れないでまだ 息をしてるから
🌙ちゃんといつか終わらせてね
約束だから
🌙🎟上に上に堕ちる夢を 祈っていいですか
🎟深い深い夢の海に 溺れるように
゜+.――゜+.――゜+.――゜+.――゜+.――゜+.――゜
🌙レティシア(cv.おとの。)
https://nana-music.com/users/7930665
🎟ルビー(cv.瑠莉)
https://nana-music.com/users/6276530
゜+.――゜+.――゜+.――゜+.――゜+.――゜+.――゜
#十六夜マリオネット
SS:柚乃
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