ひかりふる
十六夜マリオネット
ひかりふる
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Episode.6 「祈りの残滓と██人形」後編
崩れていく塔からは、月が見えた。
暗い夜空をたったひとりで照らす、綺麗な月が見えた。
人形であるエステラにとって、炎の中を歩くことはさほど苦ではない。レティシアの願いを叶えるために歩いているのだから、尚更だった。
一歩一歩、踏みしめるように崩壊する塔を上っていく。浮かぶのはただ、愛おしい少女の微笑みだけだった。
終戦の数日前からの、長いわけではない付き合いだった。
けれどエステラにとってのレティシアは、世界で一番大切な――世界よりもずっと大切な存在だった。自らの命に代えてでも、護りたい存在だった。
だけどこれは、きっと誰かに植え付けられた偽物の想い。
そんな感情擬きをレティシアに向け続けることは、彼女への冒涜だった。
そんなことは、とっくに分かっていて。だけど止められなかった。
ルビーがいなければきっと、エステラはレティシアから離れられなかっただろう。
泣くことすらも出来ないくせに、本当に弱い自分だ。自嘲が漏れた。
「エステラっ……!」
息を切らしながら自分の名前を呼ぶ、少女の声が聞こえた。
エステラにとって何よりも大切で、誰よりも愛しい少女の声が。
幻聴だと思った。レティシアのことはルビーに任せていた。ルビーはその約束を果たしてくれると信じていた。
それに、レティシアは人間である。仮にルビーがレティシアを止めきれなかったとしても、ここまで無事に辿り着けるわけがない。
人間の少女は、人形よりもずっとずっと脆いのだから。
幻聴だと思ったから、振り返ることが出来た。何もないと知っていたけれど、振り返るのを止められなかった。
「レティ、シア……?」
そこにいたのは、白い髪の美しい少女だった。
着ていた白いワンピースは炎に焼かれ、灰と煤にまみれている。布が残っていることが信じられないくらいに生地は傷み切っていた。
絹のようだった髪も燃えて端が黒く染まり、千切れて縮れている。髪と同じで真っ白だった皮膚は赤く腫れ、焼け爛れていた。途中で靴に引火したのだろうか、靴も履かず裸足のままだった。足の怪我が酷いのが一目見るだけで分かる。歩けていることが奇跡だった。
唯一変わらない桜色の双眸が、真っ直ぐにエステラを見つめている。
「エステラ」
掠れた声で再び名前を呼ぶレティシアは、もう泣いていなかった。
どうしてここにいるのかとか、ルビーはどうしたのだとか。
聞きたいことは沢山あったのに、何も言葉にならなかった。
それでも。告げなければならないことがあった。
「レティシア。駄目だ。引き返せ。君は逃げろ。……私は、君に死んで欲しくないんだ」
言えなかった言葉が、ようやく紡ぎだせた。それはエステラの、紛うことなき本音だった。
レティシアは、大きくかぶりを振った。そのままぎゅっと抱きしめられる。
「……私、は!エステラがいるから、生きていたいって思った!私の世界には、絶対にエステラが必要!エステラがいない世界に、意味なんてない!」
炎の中。ほとんど声になっていないレティシアの言葉だけが、エステラの鼓膜を震わせた。
エステラは、レティシアの父が残した最期の人形だ。
感情を持たない人形ばかりを作った彼が、「誰かを護れるように」と作ったもの。
月に祈った少女の父の遺した、星の名を宿す人形。
「私は、レティシアのことを裏切ったんだ。嘘をついてまで、君の隣にいようとしたんだ。だから」
いつもと変わらない声で、エステラが告げる。続きなんて聞きたくない、というように。レティシアはより強くエステラを抱きしめる。
レティシアの喉からは、もう声が出なかった。それでも伝えたくて、残った僅かな力で首を横に振る。
違うよ、エステラ。
エステラは確かに、レティシアの声を聴いた。
エステラは、私のことをずっと護ってくれた。護りたいって思ってくれた。その気持ちが全部嘘だなんて、作り物だなんて、私は思わない。
それでも作り物だっていうのなら、私はそれでもいい。
私は、それでもエステラが好きだから。
聴こえるはずのない声だった。レティシアにはもう、声を出す力なんてどこにも残ってはいなかった。
それでもエステラは、レティシアの声を聴いた。
エステラの月色の瞳に一筋、涙の粒が光った。
身体に力が入らなくなったレティシアが、もたれかかるようにエステラに体重を預ける。
その瞼は閉じられており、預けられていた身体がふっと軽くなる。
「レティシア……?」
答える声はなかった。
身体から力の抜けたレティシアを抱きかかえ。
エステラは、ほとんど崩れ落ちた最後の階段を上った。
塔の頂上は、火のつく前と同じ場所とは思えないほどに荒れ果てていた。
目を引く異様な蝋燭の集まりは既にそこにはなく、ぽつん、と一本の蝋燭が転がるのみ。
エステラが手を伸ばし、残った最後の蝋燭に火を灯す。レティシアを抱きかかえたまま。
蝋燭に灯ったのは、今にも消えてしまいそうな淡い光だった。
エステラの命を代償に、淡く光っている。割れた窓から月の光が降りそそいだ。
抱きかかえたレティシアをそのままに、エステラは目を閉じて祈った。
許しを乞う罪人のように。救いを求める咎人のように。
祈りを捧げるエステラのまとう服の裾を。小さな手が引いた。
眠ったように動かないレティシアが、小さく瞼を震わせていた。
桜色が覗く前に、レティシアの唇が小さく動いた。掠れるような声が言葉を紡ぐ。
「えす、てら」
願って。
レティシアは、確かにそう告げた。
ああ、そうだ。エステラは、彼女の願いを叶えなければならない。
それが、最期のエステラの使命なのだから。
レティシアの淡い桜色を見つめたまま。
エステラは二人静かに願った。頼りなく揺れる小さな炎に。降りそそぐ月光に。
エステラをここまで導いてくれた光のような少女に。
「長い夜が明けますように」
エステラが、一人で発した言葉。だけど確かに、同じように願うレティシアの声が聴こえた。
ありがとう。
その言葉を最期に、レティシアは静かに息を引き取った。同時に、エステラの身体もゆっくりと傾いていく。
離すまいと、腕の中の少女を強く抱きしめる。意識が夜に溶けていく。
だけど、きっと大丈夫だ。純粋に、そう信じられた。
――この世界に、明けない夜はないのだから。
゜+.――゜+.――゜+.――゜+.――゜+.――゜+.――゜
🌙儚すぎて⭐️すぐに
🌙消えてゆきそうな世界(⭐️だけど)
🌙⭐️君がいる
それだけで
守りたいと思った
🌙⭐️↓静かな祈りに瞳を閉ざして
もうすぐ最期の
🌙⭐️安らぎに届くから
⭐️眩しい朝
🌙光が 夢のような歌が 君を照らす
゜+.――゜+.――゜+.――゜+.――゜+.――゜+.――゜
🌙レティシア(cv.おとの。)
https://nana-music.com/users/7930665
⭐️エステラ(cv.あじのもと)
https://nana-music.com/users/6027801
゜+.――゜+.――゜+.――゜+.――゜+.――゜+.――゜
#十六夜マリオネット
SS:柚乃
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