初めまして「ハスタと秋那兎」
秘密結社 路地裏珈琲
初めまして「ハスタと秋那兎」
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出発前の夜、ここのところ眠れない夜が続いているハスタの姿を図書室に見かけて、声をかけた影があった。秋那兎だ。
寝れないんでしょ、と訊く声で、ハスタは自身の中に深く刺さったままの不安を、見抜かれていることを察した。秋那兎もまた、勘がほぼ正しいものであることを確信して、それ以上具体的に問うことはしなかった。見せたいものがあると外に誘った先で、どのみち全て分かることだ。
飛空挺には小型の探索艇が付いている。通称、トビウオ。二人で乗ってそこそこの速さで風邪を切ることができる、グライダータイプの小型船だった。秋那兎は慣れた様子でエンジンをかけ、足元の煩雑なパーツを軽く蹴り、ドライブの準備を始める。
「ごめん......秘密にしていて」
突然、ハスタが喉を震わせた。
「本当はまだ、飛べない。飛ぶのが、怖いの」
「......ずっと気になってた。あんなに機械を愛おしそうに扱うのに、操舵室の奥だけは絶対に踏み込もうとしないから」
「歯車は好き、健気で素直に生きているから。だからこそ、今の私じゃ言うことを聞いてもらえない」
長い間、それも幼い頃から、彼女は商船で空を旅をしていたという。機工師に操縦士、果ては航海士の技術まで。どれも生きるために、独学で身につけてきた。仲間と過ごす壮大な空の旅は、永遠に続くかのように思えたが、ある晩、嵐に巻き込まれてあっけなく終わりが訪れた。腕利きの飛行船乗りが集っていても、巨大な風の壁を前になすすべなどなかった。灯りもない闇の中で、波に巻かれたように上下不覚に陥って、一切の対処を試みる間もなく、船は海へと降り注いだ。
それからずっと、流れ着いた近郊の街に住まい、月日は流れ今に至る。
ハスタが灯台守になったあの灯台は、ちょうど彼女たちの船が嵐に巻き込まれた、座標の下にあった、廃灯台だったそうだった。
「このチャンスを逃したら、もう空に戻る機会はないと思った。そうでしょ?」
「......どうなんでしょうね」
「空に愛想尽かした人間の体は、そんな無意識で安全確認なんかできないよ」
乗って、短く告げられた言葉で、困ったように眉を下げるが、体は心の制止を振り切って、後部座席に跨った。手には、気がつけばゴーグルを握っていた。
星のない深夜だ。湿っぽい風は温く、しかしうねりを伴い吹いている。
気流を捉えて舞い上がり、凧のように繋がったトビウオは、エンジンの回転数を上げてやがて、テイクオフの合図と共に朝日を求めて飛び立った。
旧式のレーダーとコンパスが、エンジンの振動が、風に逆らって空を往く感覚の全てが懐かしくって、ハスタは恐怖と喜びでぎゅうっと秋那兎に抱きつく。背中で震える彼女の声は、小さく絞り出すようでありながら、確かに”夢みたい“と呟いた。
「いつかその嵐に、敵討ちに行こう!最悪でも、一緒に人生最後の急降下を楽しむ人間は、ひとりここに居るからさ」
「秋那兎...」
「今日んところはとりあえず、いい風感じて、リハビリね。最っ高の景色、見せたげる!」
風と雲をつんざいて、トビウオは夢を見る。
いつか越えるべき巨大な壁と、その先にある彼女達の笑顔を。
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多分二人は、支え合って高め合う。
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