第1話 「時を駆ける珈琲屋」(3)
秘密結社 路地裏珈琲
第1話 「時を駆ける珈琲屋」(3)
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まずい事になったから一度戻って来いと、電話口でスズキに指示されて戻って来ればひどい有り様だった。立つのがやっと、ヨチヨチ歩きのマメスケと花子を、イトウがはぐれないようしっかり手を繋ぎ、上手に機嫌を取っていた。周囲はといえば散々だ、大時計が暴走したとかで、頼りにして集められたエンジニアが、片っ端から幼児返りと老化でまともに作業に向かえる状態ではなくなっていた。爆心地はてっぺん、そこから時々時間の歪みが、パーツの落下で生じた吹き抜け部分に降ってきて、触れたものの時に影響を及ぼすのだという。サトウは、その影響なのか先ほどより一回り小さく、言葉数も随分と少なくなっていた。幸いといえば幸いなのだが、自分が置かれた状況も分からずに、眠たそうにイチロウの胸に寄り添って大人しく欠伸などしている。しかしこれで、もう上司達は余程のことがない限り実働部隊として前線に立つ事はできない。代わりに応援で呼べるのは、珈琲屋のエンジニア班くらいだが、タナカは時計は専門外、最低一人は指示役が必要だろう。
取り急ぎ、情報共有を試みて分かった事は、やはりサイトウが正規の職員ではなかった、という事だ。驚くべきは、ここのところコソ泥が侵入しているという噂はあったが、泥棒が入った後には、何故かメンテナンスが必要ない程機械のコンディションが良くなるという証言が職員間で相次いでいた事だった。確かに彼を見つけた時、手際はよく、外したパーツは全て何かしらの不具合が生じたものであったし、側から見ればきちんと修理をしているように見えた。あれだけ的確にパーツを把握し、状態を見て、値段まで査定できる手腕は、職員以上の人材と言っても過言ではない。では、何故彼は、あんな真似を?鬼灯の小さな頭蓋骨の中で、今朝の記憶が駆け巡る。
“...時々、嫌んなっちゃうけどね”
“どっかで誰かが入れ替わったって分からないような毎日。”
“時間が巻き戻って、俺の人生全部、無かったことにして始め直したいな〜...なんてさ”
壁でまた一つ、噛み合わなくなった歯車が悲鳴を上げて止まった。人は心の隙間を持て余す。そして、なにかを掛け違えた拍子に、あのズレた歯車のように隙間が広がって、そこに魔が差すのである。朝日に照らされていたから、幾分か清らかな記憶になっているのかもしれないけれど、それでもしかし、鬼灯には、時計を語っていた際のサイトウの楽しそうな目が、声が、どうしても偽物には思えなかった。
「番頭、私、この状況を打破できる人間にひとりだけ、心当たりがあります。必ず確保するので、行動許可をください」
「......分かった、信じるで。悠長に話してられる場合とちゃうねんな、はっち、連絡だけは怠ったらあかんよ」
「それで、ひとつだけ教えて欲しいんです」
「なんやなんや」
「体感で構いません、時間の歪みで年齢が変わった人の傾向、何分の一で年齢加算が起きてますか」
鬼灯の構想は、イトウになんとなく伝わったようだった。マジかと苦笑して額を撫でながら、三分の一かなと答えたイトウに、鬼灯の喉がゴクリと波打つ。博打は今まで散々打ってきたけれど、今回は訳が違う。己の身を賭けてでも、ここに居る全員を守るのだと、覚悟を決めた彼女の手は、僅かに震えて汗を握りしめていた。その両手を、そっと、二つの手のひらがそれぞれ包み込む。
「さりちゃん、律香ちゃん...!」
「ちょうど揃ってる。誰か一人でも当たれば万々歳、ダメならダメで、そん時考えよ」
「そうよ、三人寄れば文殊の知恵、ですものね」
手を取り合い、ゆっくりと大穴の真下へ歩み出た三人の上に、ふわりふわり、光とともに空気の歪みが落ちてくるのが見えていた。でももう、震えは止まった。次に光の中から帰ってくる頃には、きっと思惑通りの“未来”があると希望を胸に、彼女達は目を閉じる...
数秒後、音もなくぱあっと光った歪みの中心から、誰もが、目を背けられなかった。二人の幼子の手を引いてそこに立って居たのは、髪も背も随分と伸びて、長年の鍛錬の末に完成体を手に入れた凛々しい女性......
「大当たり、です!!」
笑顔だけは変わらぬ大人の鬼灯が、にっかと白い歯を見せた。
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身軽な二人を抱えてバイクに乗り込む。随分と小さくなって舌ったらずなさりが、アレコレと愛車の操作方法を指示しては、律香が指さし確認する。衝動を抑えた肉食獣のようなエンジンの空吹かしで、幕は切って落とされた。時間が経てば、どんどん彼女達の思考回路も記憶も、身体と同じ時代に帰って行ってしまう。そう、タイムリミットは、二時間であるとイチロウが叫んでいた。騒動からは随分時間が経っていて、あと二時間すれば日をまたぐ。ちょうどいいじゃないか、オーバーしたら大時計が鐘の音で教えてくれるなんて、ドラマチックでスリルがある。
いよいよ回転数の上がったエンジンを解き放って、バイクは、荷台を乗せて運ぶためのスロープを勢いよく駆け上がった。安全装置が作動して居ない場所をひたすら通して流し、しらみ潰しにサイトウを見つける以外に手段はない。ところが、そう考えているものだと予想した二人を裏切って、バイクが脇道をスルーした。思わず止めに入ろうと肩や背中を叩いたが、彼女はまるで動じず、ただ真っ直ぐに頂上を目指す。
「大丈夫、あの人は絶対てっぺんに来る!!下には帰れないし、大好きなものも放って置けない、そういう中途半端な人なの!!」
勿論、経験値を前借りして立派な大人の選球眼を手に入れた彼女の確信は、正しかった。崩れゆく足場を飛び越えて、ようやく辿り着いた頂上には、人の背丈ほどの直径がある大きな歯車の塊、大時計の前にへたり込み、呆然としているサイトウの姿があった。
今度は、背後から歩み寄ってきた足音に、彼は自ら大きな独り言をこぼす。
「もともと時計職人に憧れたものの、素行が悪く、試験には受からず、時計への愛がねじれて、中途半端な才能と、知識だけが膨らむ一方」
「......でも、あなた盗みに入って、本当はついでに時計を修理してたんでしょう」
「せめてもの罪滅ぼしのつもりだった。食わせてくれる時計には、恩返しがしたかったんだ...これは俺一人でどうこうできる話じゃない、取り返しがつかない、怖いよ」
サイトウの声に、今にも泣き出しそうな震えに加えて、自暴自棄な嘲笑が混ざる。悔しいのだと思った。誰よりも愛しているのに届かなくて、今目の前で最愛のものが消えようとしているのだから。手を繋ぐ相手が、彼には居ない。けれどそれを、己の諦めを許す言い訳にさせてしまうのは、とても惜しい事だと、鬼灯の唇にキュッと力がこもった。
手段は選べない、彼女はそっと、二人の手を離す。
「……こわいのは、あなたのその、衝動的で短絡的な頭だわ。あなた、いつもそうやって勢い任せに今を生きて居るのね」
そして次の瞬間、ズカズカと歩み寄ったかと思えば、なんの躊躇もなく、彼女は歯車に手を掛けて、しでかした。バキリと力任せに部品をもぎ取ったのだ。
「おい、おい!?やめろよ!!」
鬼灯の目配せで、更に時計のパーツを外す開発部。サイトウが半狂乱になって、鬼灯を引き止めようと組みつくが、完成形の彼女は当然びくともしない。
「馬鹿かお前ら!?時間が狂って、過去と未来が混ざったら、最後はタイムパラドクスを起こして存在全てが無に帰っちまう!!すぐ戻せ!!」
「やだ、戻さない」
「なんなんだよ!何がしたいんだ、死にたいのか!」
「あなたが戻してください、実際やり方わかんないし」
「はあ!?俺じゃ、無理だ……試験にも受からなかった、落ちこぼれの底辺野郎だ、本物の才能なんか無けりゃ、技師の資格もない!」
「寝言を言って居る場合じゃない!いつまで過去に甘える気です、そうやって自分が大一番で勝負しなくてイイ理由を作ってばっかり!この時計の悲鳴が、ちょうどいい目覚ましですね!」
言葉が、深々と彼の左胸を貫いたように見えた。鬼灯の背後で崩れ落ちたサイトウに、ようやく彼女は手を止めて、外したパーツを突きつける。まだピカピカで、丁寧に研磨された歯車の表面に映る、情けなく眉を下げた己の顔。彼は一体、それに何を思ったのだろうか。
「ここでこの時計を直すんです、あなたならできる……たとえ偽物だとしても、あなたが時計を愛する気持ちは本物の職人にも勝るし、積み重ねてきた時は裏切らないから。分かってるでしょう、時間は戻らないのがこの世のルール。無駄にした時間は、みんな未来で取り戻すの」
パーツに掛かったサイトウの指は、戸惑い、一度離れたあとで、ジワリと力を込めて、確かに歯車を握りしめた。開発部とこそ泥は、ようやく階下から上がってきた時計職人たちとマスターが見守る中、次々パーツを組み立てて、時計を直してゆく。大歓声と叫び声は、耳に届いていたけれど、憧れていたヒーローになった今こそ、それに応えている場合じゃあない。渡された歯車を次々的確に見分けて、優秀な助手の少女と共に彼は時間を組み直す。少しずつ、それに伴って時間の歪みが戻って行くたび、観衆の身体に異変が起こり、ドッと湧く。老婆がしゃんと立ち、赤児が言葉を取り戻し、また応援の輪が大きくなる。
そこに集った人間全てが、彼、彼女達を頼り、頼られることでまた、それは愛となって、力になる。これこそが、人が生きるための動力の、縮図である。
ひとつこっそり、お伝えしたい事がある。この時観衆には見えて居なかったようだが、時間が戻る中で、各々は忘れていた思い出に出会っていた。隣を通り過ぎ行く過去のトラウマ、大事な出会い、銀髪の少女のシルエット、故郷の街並み.......
サイトウは、目の前に現れた、初めて時計を手にした幼い頃の自分をまっすぐ見つめ、笑顔で最後の歯車を挿げた。
時刻は深夜0時ちょうど。新しい一日が、始まる。
ごうん、ごうんと、鐘がなる。
大時計が、古ぼけていて、だけどとても柔らかで愛おしい、産声をあげた。
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第一話 エピローグに続く
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