第1話 「時を駆ける珈琲屋」(2)
秘密結社 路地裏珈琲
第1話 「時を駆ける珈琲屋」(2)
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「これは一体......なんの騒ぎですか?」
「やあ、奇遇だな、こんなところで迷子かな、子猫ちゃん達」
出先でばったり出くわした...というには、少々出来すぎたタイミングで奴が現れた。イチロウだ。しかしながら、様子がおかしい。腕にはなんとなく見覚えのある、三つか四つくらいの年頃の子を抱いて、なんだかやけに若作りなイトウと並んで、私服にハンチング姿だ。話を聞けば、スズキさんは別のフロアで、別な子供のお守りをして居ると言う。
そういえば、キキョウは最初あからさまに嫌そうな顔で俯いていたのに、客の話を聞き終えていざ送り出すとなったら、えらくすんなりと外出許可を出した。してやられた。だいたい、なんとなく分かった気がするが、これは外出許可なんかではなく、ただオブラートに包んで上手に別業務へと派遣されただけに過ぎない。
逃がさない旨顔にしっかりと書いてある、圧の強い微笑みを浮かべるイチロウに、そっと退路を塞がれながら、時計塔のエスカレーターへと促されて鬼灯が肩を落とした。そりゃそうだ、楽しみは後にしようって、サンドイッチ屋に寄らずに来たらこの有様だなんて...
「どうしてお三方で子守を?」
「依頼があったんだ」
「ベビーシッターのお仕事の片手間で観光です?」
「まさか。職員の動向調査をお願いしたいって話さ」
サトウが取ってきた話によれば、こういうことだ。ここのところ時計塔の中で不穏なエラーが頻発していて、それがどうやら人為的なものであること、上層部はかなり御怒りで、内部は毎日怒号が飛び交う地獄絵図と化していること、この状況を打開するために、不具合の原因を徹底的に洗い出して、“協会内で何が起きているのか明らかにしろ”とのお達しが出ていたそうだった。なかなかに大きな仕事であるからして、キキョウが応援に送り出す判断をしたのは、適切だったように思う。だが、一点どうにも納得がいかず、鬼灯が途中で“あのう”と口を尖らせた。
「サトウさんはどこです?お仕事取ってきたご本人にお話を聞きたいです。」
昼のシフトを強奪した分、稼ぎの良い仕事をでみんなに儲けを還元する心づもりなのだろうけれど、肝心の姿は見当たらないではないか。イチロウに詳しく説明しろと詰め寄ろうとした瞬間、おもむろに、大人しく抱っこされていた子供が返事をした。
「...はい」
一体何に反応したんだ。このくらいのサイズの子供はまだ宇宙人みたいなものだから、こんな公共の場で迂闊に触れて、泣かせても困る。子供もまた、何故返事をしたのにこの大人は無言なのかと首を捻る。にらめっこの体制を敷いた三人とひとりの静寂......答えは、館内放送から流れる朗々としたアナウンスにあった。
“大時計の擬似故障によるタイムリープパフォーマンスは、安全装置の作動に寄って中断致しました。只今スタッフが確認作業を行っております。原因究明まで、しばしお時間をいただきますので、パフォーマンスによってお身体の年齢に変化が生じたお客さまは、今後のアナウンスをお待ちいただき......”
「代わりに僕の説明で我慢してくれるかな。センター長と言う壮年の男性は時間に厳しく、冷徹に研究員へと指示を出して居る。あれは、良くないね。職員が疲弊しても仕方がない」
「はあ...」
「ここの勤務体系は、きっちりしているようでいて、いわゆるブラック企業のそれだ。疲労からくる小さなミスの積み重なりで、大事故が起きるまでのカウントダウンが進行している...というのが、ここ数日調査した僕たちの所見だね。ね、サトウくん。」
イチロウの目は、子供に向いている。にわかに信じがたい事実ではあるが、絶句する鬼灯と律香の後ろから、もう一度、さりが名前を呼ぶ。
「...サトウくーん」
「はぁい!」
大変無邪気な笑顔を浮かべて、嬉しそうに手をあげた子供の頭を、イチロウが“良く出来ました”と優しく撫でた。
外出許可を請うた1時間前の自分たちに、硬直した笑顔の下で、各々呪詛の言葉を吐きちらしたのだった。
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「で、こっからどうすんの?番頭はギリ無事なんじゃん、連れてく?」
「ダメよ、イトウちゃんちゃっかり逃げて今下の階でナンパ三昧」
「......後でシメっか」
「そうね、これが無下にされてれば気が晴れるけど、若い番頭は悔しいかな無敵だわ」
とりあえずはと、お使いを頼まれた一行は、広い館内の中で忙しなく行き来する技術者を確保しようと上層階への螺旋エスカレーターをひた走った。ここでもまだてっぺんではないとは言え、もう周囲は歯車だらけ。あちこちに掛り切りで作業している職員が散見する。階下は大混乱で、クレームの嵐に対応すべく、急遽イチロウが駆り出されてしまった。サトウのように保護者付きで子供に戻ったものや、イトウみたいに都合のいい遡りをした者はいいが、そうでない層は二進も三進もいかない。ミニスカートの小洒落たおばあさんになってしまった女性の悲鳴たるや、心中御察しするところだ。
「作業中はなかなか手が離せない上に、内部に入ってたらインカムが繋がりにくいんだってさ。スタッフみんなさっきの対応に追われてる以上、お使いは私達にしか頼めないだろうけど...」
どの人が技術者かなんて、どうやって見分けろっていうんだ。初対面の職場で、どのタイミングなら話しかけていいのか察せというのは、なかなか無理な話である。途方にくれるさりと律香を他所に、鬼灯はさっきからじいっと一点を見つめて動かない。その視線の先にロックオンされた背中には、ものすごく、見覚えがあった。またタイミングの良いところで、最高の人材を見つけたものだ。男はさっきから、部品を外しては角度を変えて見直して、袋にそれを放り込んでいる。時々周囲の様子に気を配りながら、手際よく作業に没頭していれば、背後に座り込んだ小柄な彼女に気がつく事は難しかっただろう。
「はー、しんど...これも錆びてやがる。なんでここに着手しないかね」
「何か、お手伝いは必要ですか?」
「いやあ、いいかな。もう終わるから」
「点検作業も楽じゃないですねぇ」
「そりゃまあ、この塔内でパーツの種類ほぼ全部把握してる人間なんて、正規職員でも少ないからなぁ」
「そのパーツ、やっぱり貴重なものなんですか...」
「ま、物によるかな。例えばこれは、汎用性があるけど大時計用で精密さが違うから、倍の値段。錆びてるけど、こっちはオタク向けに売れば一個2万は堅いかなぁ〜...」
「へえ...売れば、ですか?」
「あっ」
聞き上手な彼女は、また目敏い彼女でもあった。男が欲丸出して掻き集めた、廃材パーツの袋を片手に我に返って振り向けば、意味深な笑顔でしゃがみこんでいる、鬼灯とばっちり目があった。
「さーいとーさん、またお会いしましたね」
「き、君は......!」
「訳あって時計の修理に長けた技術職員さんを、お連れするようお使いを頼まれたんです!サイトウさん、すっごく時計に詳しいからちょうど良かった!」
「は、ははは......そうか、でもちょっと俺今、作業がまだ...」
食い気味に鬼灯の良く通る声が被さった。
「いえいえ、さっきもう終わるって言いましたよね?待ちますよ!」
「えっ、いや」
「何か正規職員さんに会えないような理由があるんですか」
「それは!その、だな」
「お忙しいなら“人を呼びましょう”か......私の勘が正しければ、これは別件でちょっとお連れしなくっちゃならないお話かなあ、なーんて」
コソ泥が、時計塔の貴重な部品を目利きしては売り払っている。もしそうだとすれば、この些細なトラブルの積み重なりに一躍かっている可能性は大いにあるだろう。人を疑う事には躊躇ない、だって自分そのものが、化けの皮を纏って生きる“化物”の類なのだから。
「待てー!!逃げるな泥棒っ!!」
大慌てで逃げ出したサイトウを追いかけて、鬼と化した鬼灯が猛ダッシュで飛んで行った。事態を察して二人が先回りを試みるも、ここは相手のホームグラウンドだ。ウサギ穴に飛び込む時計ウサギよろしく、先々で抜け道に飛び込んでは、しつこく顔を出す鬼灯に追いつかれ、悲鳴を上げてまた追いかけっこ...彼女の頭に元のお使いの話が残っていないのは、言わずもがな。“絶対許さない、お説教だ”その一心であろうと、律香は立ち止まって溜息をひとつ、上司に状況説明をと携帯に手を掛けた。
...それと、同時の出来事だった。
15時を示す大時計の鐘が鳴り響いた時、事態は急変した。ギリギリと金属が擦れあって軋む音、ひどい騒音があちこちから聞こえ始める。不安を煽る不協和音にたじろぐ律香を、さりはそっと抱き寄せて周囲をよくよく見渡した。時計の歯車が急に行ったり来たりを始め、館内の空気が歪むのが分かった。立て続けに鳴り響く、叫び声のような警報。安全装置によって急に閉ざされた扉、それに阻まれて、鬼灯が引き返してくるのが見える。
時計の事は分からねど、ついに恐れていた事態が起こってしまったのだと、ハッキリ分かった。皮肉にしてはあまりにもキツい、今朝彼が口にした“続きは現地で”という言葉が、三人の脳内で大時計の音とともに響き渡った。
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第1話三章に続く
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