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for her
いやァ、何度もすみません。
それでもやはり、貴方には感謝を伝えるべきだと思いまして。
嘗てはこれが、私が一生背負わねばならない義務だと考えていましたが。
今では何か、お礼参りのような感覚でいます。
もちろんアウトローな意味でなく。
時は恐るべき速度で流れ、
気がついたら成人していました。
貴方の方は如何でしょうか?
もしそちらでも同様に、時間の概念を共有し歳をとるのであれば、貴方は私の幼さに関して100過言ぐらい出来るでしょう。
さて、去年もマア、同じような事を伝えましたが、
ここではっきり述べておきましょう。
私は貴方ではありませんし、貴方の影を追うこともしません。
私は”何か”なのでしょう。
そして貴方も同様に、”何かだった”と結論づけます。
言うなれば、私は貴方という在り方の固定観念に囚われていました。
そして今私はこのように考えます。
私たち人間は形をもちません。
即ち流動的で変幻自在な存在だと言えます。
私は貴方の生き方というものを様々なものから吸収し、いつか貴方になろうと努力なり(努力などこの人生でまともにしたことはありませんが)志向なりしてきました。
しかしそれは「完成された貴方という私の勝手な理想の無意味な探求」にすぎません。
貴方が12歳で完成してる人間であると捉える私はなんたる愚か者だと、成人した貴方も思って貰えると大変有難いです。
だからマア、こう考えるのです。
私とは、貴方が成り得る何かの1部なのではないか、と。
そしてこうも考えます。
貴方とは、私が成り得た何かの1部だったのではないか、と。
私のような腐れ外道になり得てしまった貴方は怒髪天を衝いていいと思います。
これに関しては大変申し訳ないとは思ってますが、
いえしかし、人の変化の力とはこれは如何に。
私と貴方は、人間としての何かであり、お互いの領域の一部分に過ぎません。
貴方の変化の中に私がいて、私の変化の中に貴方がいるかもしれない。
だから探求しつづけます。
人間として私が生きるべき道筋を。
故に、この営みに終わりは無いのでしょう。
来年も嬉々として首を洗って待っててください。
そうだ、最初にこれは貴方への感謝であると言いました。
謝罪はさっきしたので、反撃をしたいと思います。
これは私にとっては、少し、いや大分、勇気の必要な質問です。
貴方は私を祝ってくれるでしょうか。
私は何よりも祝われることを恐れていました。
なぜなら今日は貴方の誕生日なのだから、と。
私の日であると胸を張れたことなどありません。
これは無謀な事だと分かってますが、
私は貴方の祝いなしでは、私は前にも後にも何処にもいけません。
だからこそ反撃、言わば先制攻撃。
ありがとう!
また来年も祝ってくれよ兄弟!
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