【M34】七つ八つから【石川3】
吹雪(ふぶき)
【M34】七つ八つから【石川3】
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石川郡鶴来(つるぎ)町
伝承:寺下ふよ/1912年生
採集:小林輝治/1980年
採譜:中沢静子/1980年
収録:全集10上
キー:譜面G/歌唱F#
譜面テンポ:♩=69
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七つ八つから子守りに出たら
悪童(こわら)痛める女郎(めら)せせる
親のない子のあのざま見され
裾(しそ)を結んで肩にかけ
こんこん今夜は はやおか祭り
しても行くわいね親のそば
こんな泣く子の守り子さ嫌や
泣いて泣きつく郵便箱
泣いて泣きつく郵便箱に
親の便りを聞きたさに
今年ゃこうでも来年からは
好いた兄(あん)さまと田んぼする
ねんにゃ泣く役 守りゃすかす役
せめて片親ござりゃよい
ねんにゃ泣く役 守りゃすかす役
巡査在所を巡る役
守りというのは哀れなもんや
盆と祭りにただ半日(ひなか)
◼️
悪童痛める女郎せせる:背負った子に怪我させて女郎させられる。前の唄【M33】に同じ歌詞があります
親のない子のあのざま見され:これは守り子が他人の悪口を言っているのでなく、守り子が人から言われた悪口もしくは守り子の自嘲(親のない子=守り子)
裾を結んで肩にかけ:「里の行き帰りに、奉公先の土間で寝泊まりに使ったゴザを背中に掛けているのを見て、心ない町の子は『小便ゴザァ』と笑ったという」
はやおか祭り:「十二月十五日、雇い人の年季変わりの日」。出替わり(奉公守り子の交替)の日というのは分かりますが、それがなぜ“祭り”になるのか、“はやおか”とは何か不明
しても行くわいね:しても、の意味が不明。どうしても、何があっても?
ねんにゃ:ねんね(赤子)は
巡査在所を巡る役:あちこち歩きまわるの意か
盆と祭りにただ半日:「守り子の休みは年二回、盆と祭りの日だけ。それも半日だけ」
※「」内の文章は全集注の引用
■
この唄は100%守り子唄。地元民謡に守り子唄の定型歌詞を突っ込んだ混在歌(原曲歌詞を残した守り子唄)にはなっていません。曲も守り子唄オリジナルかどうかまでは不明。コード伴奏が合いそうな気がしてジャンク寸前のギターを持ち出してみましたが自爆しました……(汗)譜面は普通の二拍子ですが冬濤は少し跳ねたリズムで歌っています。
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“親恋し”は守り子の盾
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守り子唄には親を慕う歌詞がよく出てきます。この唄はとくに顕著で、歌詞二番、三番、四番、五番、七番に、何らかの形で親が出てきます(四番は郵便箱=親の頼り)。それだけ親を慕う気もちが強かった──ということになりますが、少し多すぎると感じるのは冬濤だけでしょうか。
守り子唄の“親恋し”は「雨風吹いても宿はなし」と同じお約束フレーズでもあります。必ずしも歌い継いだ守り子のリアルとは言えません。言い方をかえれば、その歌詞に心から共感して歌っていたかどうかは微妙です。時代を問わず、子が親を大切に思うようになるのは大人になってから。むしろ親の方に大切に思われたいという願望が根強く、それが道徳にもなっている訳ですが、当の守り子は“親恋し”に混ぜるようにして、こんなことを歌っています。
今年ゃこうでも来年からは
好いた兄さまと田んぼする
(歌詞六番)
ぶっちゃけお約束の愚痴だらけ──という守り子唄にあって、ここは珍しく素朴な夢が歌われています。けれど年頃間近の守り子がこれだけを歌えば、「娘(こ)わっぱが色気づきやがって」と“喋(さべ)られた”=あれこれ言われたかもしれません。一方、親を慕う唄なら大人社会は諸手を挙げて歓迎します。憎まれ役の雇主も親を慕うなとは言えなかったでしょう。守り子にしてみれば“親恋し”は安全弁というか、これなら大人に文句は言われない、という盾にもなっているのです。その盾で守ろうとしたのは、単にこの唄の歌詞六番ということではなく、好きなように歌う自由だったと冬濤は捉えています。
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見ても見飽きぬお月とお日と
立てた鏡とわが親と
(竹田の守り子唄、他多数)
上記は個人的に好きな“親恋し”の歌詞ですが、これはたぶん大人の表現。手放しで親を慕う幼な子の言葉にはみえないし、“親を大切にしよう”の道徳に素直なよい子の言葉でもない。人生経験から滲み出た親への思いが表現されている──という意味で、冬濤はこの作者を大人と呼ぶのですが、大人といっても現代なら未成年、まだ少女にあたる年齢でしょう。“十五で姉やは嫁にゆき”(童謡『赤とんぼ』)の時代を生きた「姉や」が、他ならぬ守り子たちです。社会的・精神的に大人になる(ならざるを得なかった)年齢は、いまよりずっと早かったと思われます。
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