開戦の日に(〈アカペラ〉同期の桜・若鷲の歌・戦友)
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開戦の日に(〈アカペラ〉同期の桜・若鷲の歌・戦友)
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12月8日、あの日、学校に行ったらね
ちょうど8時半頃かな
少し太った同級生の女の子が教室に駆け込んできて
「戦争、始まったんよ!」って大声で言ってね
教室におった10人ぐらいの友達が、私もやけど、その子の周りに集まって「本当か?」とか「やった」とか口々にしゃべったんよ
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↑は、私が中学生の時、夏休みの宿題「戦争体験者に聞く」というテーマに対して書いたレポートの冒頭部分です
昭和5年生まれだった母(この当時11歳)に聞いて書きました
・・・喜んだ・・・んですよね
当時の日本の、国民は・・・
~~~~~↑は「8月6日」投稿の「すずかけ通り三丁目」のキャプションより~~~~~
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ニイタカヤマノボレ
80年前の今日、12月8日、日本にとっての、太平洋戦争が始まりました
同期の桜
貴様と俺とは 同期の桜
同じ兵学校の 庭に咲く
咲いた花なら 散るのは覚悟
みごと散りましょ 国のため
若鷲の歌
生命惜しまぬ 予科練の
意気の翼は 勝利の翼
見事轟沈した 敵艦を
母へ写真で 送りたい
戦友
ここは御國を何百里
離れて遠き満州の
赤い夕日に照らされて
友は野末(のずえ)の石の下
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それぞれに伴奏も見つけたのですが、全てアカペラで歌わせていただきました
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本当は散りたくなんかなかった
それでも守りたかった「国」は
大切な家族や友人「国民」と懐かしい故郷の風景「国土」で
「国家」ではなかった・・・とは
あの頃誰も口にはできなかった
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今ならスマホでパシャですか
沈められた船に乗っていた人達にだって母がいたはず
送られていたら、喜んでみせなきゃ、いけなかったでしょうか?
人を殺したことを、褒めたくは、本当は、なかった・・・としても
歌いましたが
歌っていて、ゾッと背筋に戦慄が走る思いでした
二度と歌いたくも歌わせたくもない・・・
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「満州」って言葉を最初に知ったのは、実は少女漫画でした
里中満智子さんの「あした輝く」という作品
ちょっとおませに?!読んでしまった^^;のは、小学校の高学年の頃でした
義父は引揚者
義祖父はシベリアで抑留され、帰国は叶わなかったそうです
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終わりがあれば必ず始まりがあります
誰だって、本当は、聞きたくも歌いたくもなかっただろうに
喜んで楽しげに歌ったり聞いたりしなきゃいけなかった
実際に嬉しいと楽しいと感じながら歌っていた
そんな日々が
80年前にあったことを
私は悲劇だと思います
二度と悲劇が始まりませんように
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本当は8月6日に投稿したかった、歌詞をひとつ、連投となりますが、アップさせていただきます
Comment
4commnets
- ことのは逢(あい)@Android
- 🍈豆助🍈お笑いネタ系投稿少しずつ解禁しますー🥰
- ことのは逢(あい)@Android
- 🍈豆助🍈お笑いネタ系投稿少しずつ解禁しますー🥰戦争を語る視点は決して一つではなく。 勿論悲劇という側面は絶対に目を逸らしてはいけないものであり。 だがその反面で。 強国が植民地を持つのが当たり前だった時代。 アジアの島国日本が世界を相手に一歩も引かず戦った。 欧米列強になすがままだったアジアアフリカ各国は日本の戦いぶりに驚愕します。 真珠湾攻撃。 飛行機を乗り操る日本人に逃げ惑うアングロサクソン。 欧米列強も驚愕しました。 結果圧倒的戦力差により日本は敗れました。 コテンパンに。 ズタズタに。 数え切れない悲劇が生まれた。 だが。 戦後アジアアフリカは日本の戦いに独立の気概を覚え次々と独立を成し遂げ。 戦後世界地図は大きく変わりました。 戦争は悲劇。決して繰り返してはならない。 でも。 負けた戦いにも光があったことも直視することが散って行った英霊達への供養になると俺は考えます🥰 あの戦いを様々な視点や角度から検証したい。 それこそが悲劇を繰り返さないため絶対に必要なんだと。 少し語らせていただきました🥰