🎤≪歌旅日記≫🏃 【28】
◆訪問地
沖縄県那覇市 金城町石畳道
沖縄県那覇市 金城大樋川
沖縄県那覇市 首里崎山公園
沖縄県那覇市 佐司笠樋川
沖縄県那覇市 宜野湾御殿の墓及び墓域
沖縄県那覇市 末吉宮
沖縄県那覇市 宝口樋川
沖縄県那覇市 ヒジ川橋
沖縄県那覇市 那覇文化芸術劇場なはーと
沖縄県那覇市 石嶺 冊封使行列レリーフ
今回のテーマは、「琉球古典音楽をモチーフとした本楽曲になぞらえて『琉球王朝の雅』を訪ねて失われた首里城を探す旅をして、宮沢氏がナレーターを務める『時の首里彩画』をリスペクトした動画にて本楽曲を4部に分けて表現する」です。
第1回目の本サウンドは『琉球王朝の石造文化』として、歌詞にある「千の塚」=「墓石」のイメージから「石」をテーマに、石垣、石像、石畳、石碑を巡った。ちなみに、玉陵などの墓所は安直すぎかつ祖先に対しての不敬にあたるとして外した。
『時の首里彩画』
https://youtu.be/Nv5FgKlxYVQ
宮沢氏がナレーターを務める沖縄の地方局のミニ番組。現在、シーズン2が放送中。
『時の首里彩画』の宮沢氏ナレーション風に言うと、「古の調べが響き渡る時、その絵は描かれる。ニヤの首里彩画」「今日は『墓標』の前部の前半の調べに乗り、琉球王朝の石造文化の色を探しにいきます。」となるかな。
(以下、沖縄県の史跡の呼称について読み仮名は振らない)
≪楽曲について≫🎶
まずは本楽曲について語る。本楽曲の初収録はアルバム『No Control』であり、後に『OKINAWA ワタシノシマ』にミックスを変更して収録。さらに、『No Control』のリマスター版にて大幅にミックスが変更される。リマスター版の本楽曲は別曲と言えるくらいの変化である。
本楽曲はの「自分の墓に刻んでも恥ずかしくない日本語を書いてみたい、自分の墓標に記すのにふさわしい詩を書いてみよう」というテーマで作った曲と宮沢氏は語る。
その真意について、90年代後半当時の日本の音楽シーンはHIP HOPなどの言葉をいっぱい詰まった楽曲が主流であったことに対し、「逆にできるだけ少ない言葉でゆっくり歌いたい」と思ったとのこと。この反骨精神バリバリの逆張り感は、『手紙』に込めたメッセージと続いているようにも感じる。
当初はCMのオファーがあって製作していたとのことだが、15秒のCMで言葉が3つしか入らなくて話が流れたそうで。前半でも後半でもそりゃそうだw。後に、NHK BS『シルクロード敦煌』のテーマソングになって、私はたまたまそれを深夜のNHKで観る事ができた。上空から中国の砂漠を俯瞰しながら流れる景色と本楽曲の後部前半はとてもマッチしていたの覚えている。
次に、本楽曲の製作についてであるが、本楽曲のベースとなっているのは琉球古典音楽である。三線=琉球から始まり、琵琶や二胡と鐘=中国、雅楽の笙=日本と融合され最後は円環を描くように琉球古典音楽に戻るという構成になっている。それはまさに、14世紀頃に中国から琉球に伝来された三絃が三線に発展し、そして16世紀に豊臣秀吉が琉球文化を推奨し広まった三線が三味線に繋がるという歴史を辿るようである。
また、本楽曲はアルバム一枚分にも及ぶ製作費をかけて、寝かせた期間含めてほぼ2年に渡りレコーディングされたとのこと。当初予定だとシングルとして製作されていたとか。
製作にあたり、中国人の楽器演奏家に琴、琵琶、二胡にて参加してもらう中で、紀元前に作られた鐘が数十年前に中国で発見され、そのレプリカが昭和女子大にあると聞き録音している。
90年代後半の録音機材だとかなり時間がかかってしまい、トラック数も100くらいになったとか。「どれだけじっくりと時間をかけて言葉を噛みしめられるものか」という宮沢氏の製作意志を受け入れたメンバーやスタッフの信頼感が伝わる。
そして、本楽曲の発表後に宮沢氏はバンドとソロ活動を並行して行い、本楽曲の返歌としての『沖縄に降る雪』を創る。『沖縄に降る雪』については以前に語っているので割愛するとして、この2曲に共通する「自身ではどうすることもできない遠離の愛焦」については宮沢氏イチオシの沖縄民謡『白雲節』の内容にも通ずるところがある。
また、それら楽曲と同じ想いを持つ『あの海へ帰りたい』について、本年度の宮沢氏の音楽活動である『沖縄からの風』のライヴにて「緊急事態宣言で沖縄に行きたくてもどうしても行けない焦れる日々の中で、この楽曲が心の中でずっと流れていた」と話していた。そういった今日までの宮沢氏の沖縄への想いを読み込んでいくと、この『墓標』の裏のテーマが見えてくるように思う。
その裏のテーマとは、先述した本楽曲のラストが三線に還るという構成こそが、宮沢氏の当時の音楽性の歴史と意志の象徴なのではないかということである。
アルバム『JAPANESKA』製作時に沖縄の音楽を取り入れ『ひゃくまんつぶの涙』を製作したが当時は三線ではなく三味線での録音である。三味線から始まった沖縄との縁から『島唄』が創作され、宮沢氏と沖縄=三線というイメージが構築される。
さらに宮沢氏はそこから東南アジア・中南米と音楽の旅をして、ソロ活動に入る。ソロ活動ではイギリス・ブラジルに楽曲製作スタイルを傾け、およそ3年間、沖縄から離れた。そしてアルバム『No Control』の製作にあたり、再び沖縄と向き合うと決めた。その沖縄への恋慕の旅が本楽曲の裏のテーマじゃないかと私は感じている。
以上の点を踏まえると、沖縄曲ベストの『OKINAWA ワタシノシマ』の本楽曲が収録されたことと、曲順、特に『沖縄に降る雪(acoustic)』からの『墓標』というのも意味ある曲順であると理解できる。また、私のフレンドのザッツライターさんによると「後部後半のリズムはブラジリアンリズムでないか?」という読みがあり、沖縄音楽とブラジル音楽の融合という点でも繋がりの深い両楽曲なのだろう。
ちなみに、本楽曲は『No Control』だと1曲目、『OKINAWA ワタシノシマ』だと最後というように収録されているが、本楽曲の製作当初は『No Control』の1曲目は別曲の予定だったとのこと。でも、本楽曲を一番気持ち良く聴いてもらうには1曲目が相応しいだろうと最終的に変更されたということである。
では、当初予定はどこにこの楽曲が置かれていたかと考えれば、一番最後だったんじゃないかな~と。その当初予定の復活が『OKINAWA ワタシノシマ』での最後位置だったのではないかというのが私の考察。
この項の最後に、宮沢氏のエッセー『SAFETY BLANKET Ⅲ』に記載されている本楽曲の初期化歌詞をおまけとして久々の縦書き。
身 今
を
や 君
ひ つ の
と す 御
ひ 日 胸
ら 々 に
音 に 寄
奏 を 琴 り
で に 添
よ な う
う り
≪歌旅について≫🏃
さて、楽曲について語るだけでも凄い文量なのに、ここから歌旅の話である。
7月初旬から始まり、ダラダラと引き伸ばして終わったのは11月中旬と実に4ヶ月間も琉球王朝の文化の跡を巡っていた。その中で特に探していたのは「首里城の面影」である。
琉球古典音楽を題材とした本楽曲であれば、首里城をバーン‼️と動画に使用すれば間違いだろう。しかし、首里城は火災で焼失してしまった。
さて…どうしたものかと思っていたところ、さらに新型肺炎による緊急事態宣言である。首里城公園だけでなく県立博物館、その他の多くの文化施設が臨時閉鎖となる。しかも、沖縄は未曾有のウイルス大蔓延にて緊急事態措置解除が何度も延期される。
これは参ったなぁとは思ったが、私のように表現の為の動画素材確保の第一目的とする者にとっては、この緊急事態宣言下の沖縄は「奇跡の静寂」「太古の琉球の追体験」であり、不謹慎ながら「ほぼ無人の観光地」の撮影に心踊る日々であった。
琉球王朝の遺跡といえば、樋川をはじめとする石積の遺跡が代表的かつかなり多くあるので、まずはそれらを旅して動画などを撮った。6ヶ月の間にかなり多くの史跡や文化施設を巡って、それらそれぞれに色んなエピソードがあるがなるたけ割愛して羅列する。時系列ではなく動画の展開順にて。
●金城町石畳道
沖縄の観光地として有名な場所だが、夏場に行く際は覚悟が必要。車で来た場合にはこの石畳みの歩きにくい急坂を往復することとなる。観光客ゼロの私独占状態は奇跡だったが、本動画ではほとんど使わず。
●金城大樋川
金城町石畳道の中腹にある。住民の生活用水だけでなく琉球の紙すき文化の発祥の史跡でもある。2階建ての建物くらいあり写真ではなかなか伝わらない迫力ある石積史跡。
●首里崎山公園
琉球王朝の石造り文化といえばシーサーだなぁと思い立ち、国王の別荘跡地の御茶屋御殿の石造獅子へ。火除け護りだがおっとりした愛嬌ある顔。ストーンサークル状の雨乞嶽は300年以上の歴史があるみたい。ここの公園は絶景だが車で来るには一苦労。
●佐司笠樋川
琉球王朝の王家の子孫屋敷跡の松山御殿跡の裏にある樋川。樋川の底から見上げる景色は圧巻の円形の石造史跡。台風の翌日に行ったので湧水の量が多くて水音に癒された。
●宜野湾御殿の墓及び墓域
末吉宮に行く途中で道に迷って辿り着いた史跡。巨大な石造りの亀甲墓があったのだが、さすがに墓の写真を撮るのは無礼だろうと入口のみを撮影。偶然にも入口へ光の道が出来ている。
●末吉宮
末吉公園からの参拝は地元の人間でもなかなかやらないほど過酷かつ危険とされる。傾斜40度の石畳坂道ていうか崖をよじ登ったり、拝所や防空壕跡にいちいち出くわしたり。で、ようやく末吉宮に着いたら偶然にも宮司さんがいらしてて、意図しない絶好のタイミングで宮司さんが動画に入ってくれた。そして、SNSの動画使用の承諾を得ようとお話ししたら、なんとお祓いをしてくれた。やっぱ憑いてた❓w
●宝口樋川
首里の住宅街の中に突如現れる滝。ここも紙すきの歴史あり。これまで何度も来たことのある樋川だけど滝下に降りたことがなく、今回はこっそり降りてみようとしたら先に訪問者が居て。その方が帰ったら滝下に挑戦しようと思っていたら、「この滝下って降りられるでしょうか❓」と声を掛けられたので、これもまた“縁”と“機”ということで一緒に滝下に降りた。でも、その動画は一切使わず。うむぅ。
●ヒジ川橋
金城石畳道に行く前にたまたま金城ダムに立ち寄ってみた所、なんだか素敵な石造りの橋があったので調べてその時にヒジ川橋の歴史を知った。私の歌旅のモットーとして「下調べはほとんどしない」があるので、偶然に学ぶことが多々ある。野良ニャンが優雅に佇むのも沖縄ならではかな~。
●那覇文化芸術劇場なはーと
ここからは史跡ではなく文化施設。沖縄の新しい石造り文化の象徴として。この撮影の時はまだ開館しておらず。ちなみに、この独特な外壁は『首里織』をモチーフにしている。
●石嶺 冊封使行列レリーフ
某安室氏が暮らしていた石嶺団地もリニューアルが進み、その傍らにこのレリーフがある。私が追い求めていた「失われし首里城を探す旅」「琉球王朝の石造り文化」「石=墓石」のイメージにとてもマッチしていて、このレリーフから動画のイメージを構築していった。
沖縄県人は以外に琉球王朝の歴史を知らない。それは、学校教育のカリキュラムに入ってないから。でも、私が小学生の時、沖縄の先生たちはなんとか対抗して、歴史の授業の大正~近代を縮小して琉球の歴史を教えていた。それでもたった2回の授業である。
戦後~高度経済成長期にかけて、この日本は敗戦国の後ろめたさと上級国民貴族が富め続ける為に、「ルーツに誇りを持つこと」を「よくないこと」「ダサいこと」としてきた。
その風潮に対して問題提起してきたのが宮沢氏の表現であり、アルバム『JAPANRSKA』を経て『思春期』で『島唄』を発表し、その楽曲が沖縄県人に琉球王国のルーツと文化の誇りを取り戻させた。
現在の沖縄は、琉球王朝の文化と歴史を継承することが県民の誇りであり、連帯となっている。史跡の保護を誰もが望み、そして新しい文化施設も創られている。そこには合理的個人主義の「金儲け」や「勝ち負け」の概念よりも、文化を「繋ぐ・結ぶ」という意識がある。
新型肺炎の蔓延の最大被害を受けた沖縄のこれからはかなり厳しい貧困が続くだろう。でも、首里城の火災消失が沖縄県人に気づかせた「ルーツを大切に想う」連帯が、コロナ禍が逆説的に問いかけた「生きる」ことの豊かさの定義の真理になるのではないかと、この度を通して考えた次第である。
≪動画について≫🎥
前の歌旅の『島唄 2002』「琉球王朝の雅を訪ね、失われた首里城を探す旅」をし始めた時はもちろん動画のテーマなど無かったが、念頭に置いていたのは『時の首里彩画』のような雰囲気の動画を目指すこと。
今後に展開するサウンドを含めて4つのテーマを確定させた後、それぞれのテーマに添って旅を追加していった。このサウンドのテーマは訪問場所が多かったがその分、琉球王朝の歴史を学べたし初めて訪れて感動した場所も多かった。
その感動を表現すべく、ギター三線の淡々に合わせて淡々と画像をスライドさせて歌が入る部分からは動画にしていくことで、琉球王朝から現代に至るまで沖縄に流れるゆったりとした時の流れを表現したつもり。
あと、夏の沖縄の日差しはその虫眼鏡で焼かれるような暑さだけでなく「色と光が眼を焼いてくる」というのがあるのだが、単純撮影ではそれらを記録しづらい。なので、最後に動画の照度や色合いを調整して、私が体験した「沖縄の太陽の強い照度」を表現した。
あと、動画画質を1080pにしたらnanaが処理出来なくてバグが発生するから、720pにした。元動画の美しさがやや損なわれるが妥協点。納得。
≪歌入れについて≫🎤
今回の『墓標』を全部やる企画を始める際に、テスト歌唱したものが思いの外良くて、それをそのまま採用した。歌入れの日付は4月末。あれから7ヶ月を経てようやくアップできるて本当に嬉しい。
この私の歌唱については、民謡歌唱に近い宮沢氏の原曲よりもライヴでの太い歌唱に近いなぁと思う。で、ちょっと他人事のように語るのは、先に述べたようにテスト歌唱ということで無心で歌ったから。
ロングトーンや息継ぎ・しゃくりなど、この楽曲と出逢ってから長く長く20年以上も聴いて歌ってきたその蓄積がこうも納得いく完成度だったことに、我ながら感動したものである。その記録として、4月のサウンドは残しておく(音量調整前だから爆音です。)
素敵な伴奏にて歌わせて頂きましたdaiさん、ありがとうございます。
daiさんがこの楽曲の伴奏をアップされていた時にすぐに歌わなかったのは、この楽曲を表現する絶好の機会を必ず来ると待っていたからでして。新型肺炎の蔓延でこの社会も私自身の生き方も激変したからこそ、開くことができた表現でした。今後ともよろしくお願いします。
≪最後に≫🧱⛰️⚙️🏛️
本楽曲が『No Control』の1曲目だったというのが本当にインパクト強くて、私がこのアルバムを発売日に入手して初めて聴いた時の衝撃はいまでも忘れられない。
99年当時はアルバム収録曲のネット先行配信とか無くて、「買うまでわからない」が大体だった(宮沢氏のラジオでは先行放送してたみたいだけど)。なもんで、アルバムCDをコンポプレイヤーに入れてから歌詞カードをめくるという流れが常であった。
3年振りのアルバムに期待を込めてCDを再生して「さてさて~『墓標』ってどんな曲かな~ワクワク~」と歌詞を読もうとしたら、「あれ?音楽が聞こえないぞ?」となってボリュームを上げる。すると遠くから淡々とした三線が流れてくる。歌詞も追えるようで追いにくい。
「なんだかノイジーだし、音量小さ目のアルバムかな?」とさらにコンポのボリュームを上げ、立ち上がってコンポに近づく。そして前部が終わった直後、銅鑼の重低音が家を揺らし、雅楽の笙が爆音で響き渡る。マジでビビった!w。お目目パチクリ、身体ビリビリ。歌詞カードを手に持ったまま放心状態。
その爆音間奏のあと揺さぶられるようにゆらゆらとした後部前半が始まり、そして後部後半の黄金の輝きを感じる豪華絢爛な合奏と力強い宮沢氏の歌唱。そしてラストにまた三線が淡々と弾かれ、最後の深く鳴る一音に強い風圧を感じてよろけて座り込む。
次曲のイントロでCD再生を止めてその衝撃の余韻に浸り、3年の休眠を経て復活したTHE BOOMの可能性への大いなる挑戦に感動したもであった。
そして、こうしてキャプションを書くにあたり、宮沢氏の過去文献をまとめていて宮沢氏のある言葉に目が留まった。
「大昔の音楽は本当に豊かで、季節の移り変わりのようにゆったりとしている。今日において、そのような速度で歌を歌ったら、いったい人々はどういうことを感じるのか。今からとても楽しみにしている。」
いやぁもう20年以上も衝撃で震えているよ。そして、その震えに怯えずに勇気をもって立ち向かい、かつてないほどの大納得を獲得できたよ。ありがとう。そう心に思ったのであった。
次回は『琉球王朝の美術・芸術』の色を探しに行きます。お楽しみに。
※トップ画像は、宝口樋川の滝下からの眺め。
#宮沢和史 #THEBOOM #墓標 #NoControl #OKINAWAワタシノシマ #時の首里彩画 #琉球古典音楽 #首里城 #金城町石畳道 #金城大樋川 #首里崎山公園 #佐司笠樋川 #宜野湾御殿の墓及び墓域 #末吉宮 #宝口樋川 #ヒジ川橋 #那覇文化芸術劇場なはーと #冊封使行列 #沖縄に恋した宮沢和史祭り
Comment
4commnets
- ニヤ☆ゆっくり聴きnanaさせて下さい〜💦☆
- ニヤ☆ゆっくり聴きnanaさせて下さい〜💦☆
- kanako「大昔の音楽は本当に豊かで、季節の移り変わりのようにゆったりとしている。今日において、そのような速度で歌を歌ったら、いったい人々はどういうことを感じるのか。今からとても楽しみにしている。」 これ、今回のニヤさんのnana投稿にも通じるね。 出来上がりの速度、アップの速度はゆっくりゆったりでも、中身の詰まったサウンド。 毎日この曲と真剣に向き合う日々は、豊かだったことだろうと思います。 一音一音を噛みしめるような歌唱にも感動です。 ていうか…やっとこさアップ〜! おめでたい〜㊗️🍻
- dai(だい)2号おおーっ、遂に始まりましたね!!!! 次回以降どうなるか楽しみです(((o(*゚▽゚*)o)))