スラバヤ通りの妹へ(1番)妄想小説(1999年3月作成)付PART1
長文注意 m(_ _)m
松任谷由実 ユーミン
スラバヤ通りの妹へ(1番)妄想小説(1999年3月作成)付PART1
長文注意 m(_ _)m
- 27
- 4
- 2
#ことのはユーミン
スラバヤ通りの妹へ(1番)妄想小説(1999年3月作成)付PART1 長文注意 m(_ _)m
歌詞から思いついたお話、妄想小説を載せております。長文です。ご注意ください
〜歌詞〜
妹みたいね15のあなた
髪を束ね前を歩いてく
かごの鳩や不思議な果物に
埋もれそうな朝の市場
やせた年寄りは責めるように
私と日本に目をそむける
でも’RASA...(RASA...)
RASA SAYAMG GEH”
そのつぎを教えてよ
少しの英語だけがあなたとの
架け橋なら淋しいから
RASA SAYANG GEH
ーーーーーー
私のお父さん、ハーフね。日本人との..年?今54歳。終戦の年の生まれね
私の国、むかーしは、オランダに占領されてた
そこへ、日本軍が来て、オランダを追い出したから、私達、最初は喜んだけれど
日本軍も、オランダと同じだった。もっとひどかったっていう人もいる
特に、終戦の直前くらいは
逆らう人達や、そうでない人でも..なんか、いっぱい日本軍に殺されたりした
お父さんのお母さんの村でも、たくさん殺された
彼女、それを、隠れて見ていた
日本の軍人、みんな、おもしろがっていたんだって。”人を殺すのを”
でも、1人だけ。気の毒そうな、悲しそうな、怒ったような..表情をしていた軍人がいて
誰か、日本人と視線が合うと、すぐに、ポーカーフェイスになったけど
”やめろ”って、叫んでいるような、心の声
聞こえそうな顔してたって
負けたこと、分かって
日本軍は、連合軍や、私達・昨日までの占領民に、攻撃されて
たくさん、死んだり、怪我したりして..逃げていった
そんなとき、彼女は、見つけた
怪我をして、動けなくなっていた”あの日本の軍人”
見捨てておけなくて、こっそり、かくまって、看病して
その人と、結ばれた
その人は、結局、そのまま、怪我が元で亡くなった
その後、彼女、気づいた。お腹に、子供がいること
その子が、私の”お父さん”ね
私、お父さんが39歳の時に生まれたよ
一人っ子なのは、お父さん、結婚遅かったから
私の”お母さん”のお父さん、つまり、私のおじいちゃんに
許してもらうの大変だったから
おじいちゃん..もう80歳になるね
彼も、家族や友人を、日本軍に殺されたりしたから
その血を引く、男と自分の娘とを結婚させるなんて、”死んでも許さん!”って言って
私の”お母さん”勘当された
私のお父さん、最初、自分の両親、憎んだりもしたって
でも、母親が”いい人だったよ”って、怒ったり、悲しんだりもせず、いつも話すから
そのうち、そう言う気持ちも薄らいだんだって
私のお母さん、お父さんと会うまで、戦争のこととかほとんど知らなかったんだって
後から思うと、自分の家族、みんなその話題を避けていたんだって
だから、お父さんと知り合って、結婚したくなって、いろいろあるうちに、みんな知ったんだって
”それでも好き”だから結婚したんだって
私もね。小さい頃から、なんとなく”私のお父さん、みんなと違う”とは思っていたけれど、詳しいことは知らなかったの
まさか、自分が、こんな風に、日本に留学するなんて思ってもみなかった
”日本で勉強したい”って言った時、初めて、両親から聞いたの
来て良かったよ。あなたみたいな友人とも会えたし
今度、私の国、私の家に来てよ...
おじいちゃんに..紹介したいなあ。日本で出来た”親友です”って
まだ、私自身も会ってもらったことないけれど..
彼女は、我が家に居候(うちのことホストファミリーとか言うらしい)しているインドネシアからの留学生
日本文化、特に、日本人形に興味を持っていて
自分でも作りたいなんて言っている
その彼女の、おじいちゃんが、倒れたと言う知らせは、ある夏の日に届いた
”一度だけでも、会いたい”って、言う彼女と、私は同じ飛行機に乗っていた(2番へ続く)↓
https://nana-music.com/sounds/05f32221
#松任谷由実 #ユーミン #荒井由実 #スラバヤ通りの妹へ
Comment
2commnets
- ことのは逢(あい)@Android
- ドゥ🏴☠素晴らしい👏🏻👏🏼👏🏽👏🏼👏🏻ヾ(*´∀`*)ノ コラボ返します( *˙ω˙*)و グッ!🎸ウクレレハミング