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5commnets
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    momi
    女の子なら皆憧れたでしょうね。 田舎では農業の傍ら養蚕もやっていた家が多くあったようで、一生懸命自分たちが拵えた絹は江戸へ流れ、自分の着物は絣や木綿など地味なもの…という寂しさも少し感じるように思えますね。
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    冬濤
    > momi

    様 興味があったので江戸縮緬を検索してみました。素人感覚ですが、色鮮やかなのに、出しゃばった感じがなく、門外漢の私でも惹かれるものがありました。当時の娘たちが憧れたのは当然かも。 この唄が作られた年代は分かりませんが、歌詞をみると、江戸という呼称が普通に使われた時代=江戸末期までになると思います。

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    momi
    この歌が作られた時代にもよりますが、幕末〜明治初期ならホントの江戸縮緬かも?明治に入ってからは染色や柄がぐっと華やかになります。江戸ちりはシボでふっくらしていても繊細ですごく軽やかでとろっとしている生地です。大正〜昭和初期になるとそこに錦紗縮緬という選択肢も出てくるかなと思います。 どちらも素敵な着物なのでご興味がありましたら検索してご覧になってみてください☺
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    冬濤
    > momi

    様 コメントありがとうございます。感じ方は似ていたのかな。私は縮緬を言葉しか知らず、コメント拝見して改めて納得しました。子守唄の歌詞は継ぎ足しが多く、二番三番の詞作者は別人というケースが多々あります。三番の作者は菜の花畑で二番を唄いながら「これで終わりにしたくない」と感じたのかもしれません。三番は一番二番への反し歌にも聴こえます。この作者(守り子でしょう)には会ってみたいなと思ったりしています。

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    momi
    都会に行くと皆縮緬の着物(凄く高価で色鮮やかで華やかなものだったと思います)なんか着てすっかり人が変わったようになっちゃうけど、ココで見たあの菜の花の美しさを忘れないでねという風にも取れました☺