春の寝床
一青 窈
春の寝床
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ワクワクとした顔で現れたシノは、思いの外整っている植物園に目を丸くする。
「…えー!大体の予定が終わったんですかぁ!?」
フィーの話に声を上げた。シノは申し訳ないようなガッカリするような、複雑な顔で植物園を見つめる。
「いえいえ…むしろ、作業が浮いた時にシノさんに来てもらえて良かったかも…」
そう言うと、外出している園長の部屋を横切り、研究用の植物が育てられている部屋へと連れていった。シノは、いいんですか?と終始オドオドしている。部屋の奥の植木鉢の前で2人は立ち止まった。
絶句するシノにフィーは静かに頷いた。襲われ呑み込まれ…嫌という程目の当たりにした無歌だ。
「園長は大切にしているけれど、園長を媒体にして街を襲ったあの春の主が渡した種…私は信じられない。何度話しても園長は大丈夫しか言わないし…シノさん、この花を魔法で調べて貰えませんか?」
え!と声が漏れる。しかしフィーの顔は真剣だ。確かに情報魔法を使えば…元々淡水の魔力を帯びているシノなら植物とも相性がいい。傷つけずに調べることが出来そうではあるが…。
「部署は違っても、園長は私なんかより遥か地位高い理事会員です。それに無歌はゲヘナの大事な検体…もしもの事があったら、私もフィーさんも大変な事になっちゃいます!」
「何かがあったら、全部責任を取ります!絶対にシノさんを守ります!それに…また街が、大好きな人があんな事になるの…私みたくない!」
繊細な羽が細かく震えた。このまま断ったところでフィーの事だ、自分で調べかねない。その方がシノは怖いと思った。
「分かりました!だからどうか、思いつめないで!…で、でも、何があったり失敗しても…1人で抱え込まないでくださいね」
そういう訳には!と叫ぶフィーを後目に、スティックを構えて無歌に意識を集中する。
「水は流れ、知恵の泉へと流れ…トートの書へ流れ流れる」
色の薄い葉を茂らせた苗に魔力が染み込むと同時に、頭に声が流れてくる。
「我を見捨てた…」「この土はいかがかしら?」
「美しかった我の姿が」「芽吹いてくれたのね」
全く関係のない時間軸の、2人の声が聞こえる。恐らく春の主と園長の声だろう。そのうち、嘆き悲しむペルセポネと無歌を育てる園長の姿が見えだした。急にシノの頭に直接介入しようとする意識を感じた。魔法を解こうとしたが、向こうの方が力が強く、避けることが出来なかった。
「…ここにあの女性の他に声が聞こえるとは…そなた達を常は知っている。話がしたい、願わくばここへ来て欲しい…無歌が導くだろう」
春の主だ!シノはハッと目を開く。フィーに目をやると、恐怖に手が震えていた。
「シノさん!無歌が!に、逃げないと!!」
無歌が2人に向けて葉を大きく伸ばし、まるで手で包むように迫っている。シノも一瞬慄くが、意を決してフィーに告げる。
「春の主が話したいって…!行ってみましょう」
「春の主?騙して襲う気ですよ!逃げましょう!」
シノはフィーの手を握る。フィーは混乱しながらも、ギュッと目を瞑った。
目を開くと、花が咲き乱れている世界が広がった。夏だというのに日は穏やかで、春の植物が茂っている。美しい泉の横に、美しい女神が座っている。白黒になり、襲ってきた姿とは大きく変わっているが、紛れもなくペルセポネだった。
「眠る前に、まさかアッシャーのそなた達と話せるとは、嬉しき事だ…ここは春の主の寝床。常は次の春までしばし眠りにつく…」
シノは礼儀正しくお辞儀をしたが、フィーはギッと主を睨む。それを見て主は穏やかに微笑んだ。
「今精霊が1人、受肉の径を受けている。ゲヘナの存在が人として命を受け、世界の真理を見つめる修行だ…そやつが言うには、この世は常等の神々が創ったのではなく、そなた達アッシャーの命の詩が神も世界も創り上げたのだと。皆は奴の悟りを危険視しているが、常もそんな気がするのだ…」
泉に昔の風景が写る。
「まだ神がアッシャーに存在できた時代、常が花と春の女神だった頃、常は色と力に溢れていた。そして、冥界に騙され囚われてから色と力を失った。人々の春を愛する詩が聞こえぬのだ…嘆き苦しむ間にいつしか常の体より咲き出したのが、無歌だ。名の通り命の詩がない花…神は偉大な力があるが、詩から切り離されて生み出せるものなどこの程度なのだ…そして、常を無視して春を手に入れた世界を恨んだ」
羽がビリビリと震えるフィーを見つめ、シノは肩に手を添えて付き添った。
「空っぽの無歌が種を孕んだ…初めての事だ。あの女性の愛の詩を聞き、そなた等の怒りの詩を聞いた。その詩は色を生み出し、常にまた力を与えた…。この世界は命の詩が創っている。…そなた達が育てる、初めての無歌の種はどんな詩を謳うだろう…願わくばこの世界の常が愛するそなた等の夢と成れたら良い…」
世界が緩やかに歪んでいく。主は大きな欠伸をした。そろそろ寝床の柱が眠りにつくのだ。
「女夷…冥界から救ってくれたのに常は…ありがとう、今度は女夷の逑に救われるとはな…」
外出から帰った園長は自分の研究所に2人が眠っている事に驚いた。しかし穏やかな寝顔を見て、静かに毛布をかけた。
「あら、無歌に蕾が…!前は白だったけど、淡いピンク色ね…綺麗だわ」
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フィーの不安を取り除きました。
(フィーの園芸店 売上6)
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