guest3_一夜 嫉妬の烙印者
19's Sound Factory
guest3_一夜 嫉妬の烙印者
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『港から離れ、遠く深い海原へと行くのならば気を付けろ。死にたくなければ耳を塞げ。その歌は時に薄明と共に舞い降りる天使の様に、時に深海の慈母の子守唄の様に…ありとあらゆる姿を模して脳裏に語りかける。その身を捧げろと…その身を捧げろと。生きていたければ、その透明の声に惑わされてはならない。耳を貸すな』
…そのはずなのに…仲間も年下の子ですら船を惑わせるのに…
『おお!いいねぇ!姉ちゃん!!』
『心にガツンとくるぜ!お前の声!!野郎共、あの人魚に負けずに働けよ!!』『おぉ!!』
…私は一隻の船すら惑わせられない。それどころか船はどんどん前に進むばかり。あぁ…後ろから今日も聞こえる。
『…ふふふ、なんて大きな声!』
『やだぁ、ゾーアに聞こえちゃうよ』
恐る恐る振り返ると馬鹿にしたように笑いながら水飛沫が飛んだ。後ろの岩場が湿っている…仲間が居たのだろう。
「透明な声…私は人魚…私は人魚…なのに…!!」
「うぉ!急に叫び声がするからびっくりしたぜ。…おはよう、レディ?」
へぇ??と変な声が喉から飛び出た。いつの間に寝ていたのだろうか?声がした方に目を向けると、部屋の扉を半開きにし犬の耳をした男が半身を乗り出してこちらを見ている。…ここは?ブンブンと周りを見渡す。真っ白なリネンが気持ち良いベッドは天蓋が垂れており、朝日を柔らかく通している。質素だが品の良いコーヒーテーブルとクラシックな椅子、アンティークの花瓶には生き生きとした花が活けられている…知らない風景だ。ゾーアは、あうあうと言葉にならない呻き声を上げるしか出来ない。
「流石池から来ただけあって、泊まりに自主的に来てる感じじゃねぇのかな?…ゴホン…お客様、私めは当ホテルの警備員…的な従業員でございます。お客様は当ホテルにご宿泊された大事なゲスト。この私めがどんな危険も取り除きましょう!」
演技じみた手振り素振り。大袈裟に胸に手を当て、人懐っこい笑顔を浮かべながら扉を超えてにじり寄ってくる。ひぃ!小さく叫ぶ。ただでさえ混乱しているのに、知らぬ男がこちらに歩いてくる。魔法を…!しかし手が震えて精神が集中しない。危険視される人魚だがその肉を生きて食えれば不死を得る…そんな物騒な噂を信じ、乱獲され帰ってこなかった仲間もいる。どうにかしなければ!どうにか…私は人魚!人を惑わす透明な声を!!
ゾーアが歌い出すと、男の足と共に楽しそうに揺れる尻尾も止まった。呆気に取られたのかニヤけた表情すら消え去っている。
『…成功…した??』
仲間の様に美しく歌えたのだろうか?魅了されたなら後は思い通りになるはずだ。その身を捧げろ…と言ってもここは海ではない。
「で、ででで…出てって!!」
しかし男は動かない。それどころか、ぽかんとしていた顔はどんどんと笑顔に変わり、いつしか部屋にけたたましい程の拍手をし出した。
「…すげぇ!!なんて力強い声なんだ!人魚と言えば歌!!…ちょっとイメージと違う気もするけど…いや、想像以上だ!お嬢さん、アンタ…」「止めて!」
歌に負けぬ大きな声でゾーアは叫び、耳を塞いだ。肩で息をしている…かなりの動揺が見て取れる。
「…ご、ごめんなさい…。人魚の皆がずっと私を笑うんです…頑張ります、頑張ります…だから、大きな声って笑わないで…私の歌を…笑わないで…」
震えながらもゆっくりゆっくり顔を上げ、男の顔を見る。またぽかんとした顔に戻っていた。ゾーアは慌てて言葉を重ねる。
「あ!いや!その…分かってるんです。人魚っぽくないですよね!…へへ、よく言われるんですよ。見た目通りの歌だーなんて…凄い人魚は歌を歌わなくてもその姿で魅了出来るのに…潮彩の様な瞳に、空と海のヒレ…流れる水の様に長い髪…」
そう言って微睡む闇夜の短い髪をワシワシと撫でる。
「皆見た目通りに透明で…素敵な歌を歌うんです。歌は…人魚であるという誇り、自分の命のような存在です。…だからかなー!アハハ…見た目通りだぁ…私の歌なんて…」
ついに静かに泣き出すゾーア。ヴィレムは静かに聞いている。これだけ話しているが、彼女から嫉妬の炎が全く見えない。いつもならハズレだな…と離れるのだが…
「イラつくなぁ…わかった体の奴ほど話を聞かねぇ。拍手って賛美の行為じゃないの?」
「…えぇ…っヒック!だ、だってぇ…仲間が手を叩いて笑うからぁ…」
あぁ…と頭を抱えるヴィレム。
「いいかぁ?一回しか言わないから、遮ったり聴き逃したりすんなよ!?…周りと違うって、怖いことだよな。でもさ、俺はアンタの歌、すげぇ良いと思ったよ!綺麗で繊細なのに、身体の芯まで響いてくるような強さもあって………個人的には、それを貫いてほしいけどなぁ」
―その声は身体を震わせて、心を強く導くの。私は…貴女の歌が大好きよ…―
「…!!痛い!!」
ゾーアは顔を歪めて足元へ手を伸ばした。その動きに体にかかっていた毛布がスルリと落ちた。
「あ、足が…!」
ヴィレムは驚いた。確かに夜彼女を運んだ時には人魚だったが、耳のヒレは残るものの足は人間のそれと全く同じ形になっている。その足首には華奢だが凝った装飾のアンクレットが揺れている。その中央の石に浮かぶ模様に更に驚き息を飲んだ。
「…アンタ…まさか烙印者か?」
気まずそうにゾーアは床に視線を落とした。
「ええ。…その…さっき、私の感情を見ましたね?何となく気づきましたよ。貴方も…同類の人だって」
何でまた…と言いたかったが声が出なかった。それを察してか、ゾーアは口を開く。
「深海に住む魔女にお願いしたんです、足が欲しいって。魔女は喜んで私に力をくれました」
魔女に力を借りるのはリスクがある。魔女にも色々居るだろうが、力ある者は危険だ…ロゼと出会った花の精霊の事が頭をよぎった。
「思い出すと痛いけど…ふふ、ありがとうございます。えっと…」
屈託のない笑顔。素朴だが、素直さが出せる美しさが彼女にはあった。
「…ヴィレムって呼んでくれ。さ、朝食が待ってるぞ」
深く追求したい気持ちを押し殺し、ヴィレムはベッドの上の人魚の娘に手を差し伸べた。
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一夜が終わりました。
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