竹田の子守唄
赤い鳥 山本潤子
竹田の子守唄
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当時放送禁止及びレコード禁止
人種差別問題だというのですが
この歌詞でそれがわかる人っているんだろうか?
素晴らしい伴奏とオカリナの音色ありがとうございました
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守りもいやがる ぼんからさきにゃ
雪もちらつくし 子も泣くし
盆が来たとて なにうれしかろ
かたびらはなし おびはなし
この子よう泣く 守りをばいじる
守りも一日やせるやら
はよもゆきたや この在所こえて
むこうに見えるは 親のうち
むこうに見えるは 親のうち
複数の被差別部落に伝わる子供の労働歌であり、題名に「子守唄」とあるが正しくは「守り子唄」であり、子供を寝かしつけるのではなく、部落出身で子守として奉公に出され、学校へ通ったり遊んだりする余裕のない10歳前後の少女の心情が唄われている[1]。
明治時代中期の発祥とされるが、題名にある京都市伏見区竹田地区の住民が実際に唄っていたのは、昭和初期に10代だった世代までであった[2]。
1964年12月[3][4](または1965年1月)、東京芸術座が公演した労演主催の舞台作品である住井すゑ原作の『橋のない川』で、尾上和彦が多泉和人(おおいずみ かずと)のペンネームで音楽を手掛けることになり、主題に即した曲を使おうとしたが[5]、尾上は部落問題を肌で感じることができておらず、実感を得るため、別の仕事で訪れたことのあった被差別部落の一つの京都市伏見区竹田地区にある部落解放同盟の合唱団「はだしの子」メンバーの1人の母親から、情緒たっぷりどころかカラっと明るく唄って教えてもらった民謡を編曲して使ったものである[6][7]。
1971年2月5日にシングル・カット、A面に本作、B面に『翼をください』を収録し、3年間でミリオンセラーとなったが、歌詞の「在所」が被差別部落を意味し、それ絡みの楽曲と知った放送局は慌てて自主規制をかけた[26][27][28]。人気だった赤い鳥に対し、放送局から理由を告げずに「歌唱曲から外してほしい」と複数回の要請がなされた[29]。またレコード会社も動揺し、採譜者が編曲著作権を主張したこともあってレコーディングが避けられるようになり、長い間いわゆる「放送禁止歌」として聴く機会が減少した[30]。
Comment
1commnets
- こうじ当時のフォークソングは 戦争反対とか 人種差別反対とか そういう活動が盛んでしたね フォークソング イコール 赤 みたいな いまみたいに 純粋なエンタメではなくて 売れなくてもいいから みんなで世の中を変えよう みたいな フォーククルセイダーズの イムジン河などもそうでしたね 素晴らしい伴奏とオカリナの音色ありがとうございました😊