ドヤ街(ドヤがい)は、日雇い労働者が多く住む街のこと。「ドヤ」とは「宿(ヤド)」の逆さことばであり[1]、旅館業法に基づく簡易宿所が多く立ち並んでいることに起因する。
東京の山谷、横浜の寿町、大阪のあいりん地区が有名である。
戦後の高度成長期、日雇いの仕事を斡旋する寄せ場に日雇い労働者が多く集まり、彼らが寝泊りする簡易宿所が寄せ場の周辺に多く開設されることで、ドヤ街が形成された。いわゆるスラムとは異なり、その地域全体が日雇い労働者のドヤで占めているわけではなく、中産階級の住宅も存在しているのが大きな特徴である。住民構成は肉体労働者の独身男性が多数を占めている点も、戦前の日本の貧民窟や第三世界のスラムとの違いである。衛生状態の問題があり[1]、仕事帰りの日雇い労働者を狙う強盗や喧嘩なども発生しているが[2]、重犯罪の多発地域ではないことも海外のスラムとは異なる特徴である[1]。
歌:岡林信康
作詞:岡林信康
作曲:岡林信康
今日の仕事はつらかった
あとは焼酎を あおるだけ
どうせ どうせ山谷のドヤ住い
ほかにやることありゃしねえ
一人酒場で 飲む酒に
かえらぬ昔が なつかしい
泣いて 泣いて みたってなんになる
今じゃ山谷が ふるさとよ
工事終れば それっきり
お払い箱の おれ達さ
いいさ いいさ山谷の立ちん坊
世間うらんで 何になる
人は山谷を 悪く言う
だけどおれ達 いなくなりゃ
ビルも ビルも 道路も出来ゃしねえ
誰も解っちゃ くれねえか
だけどおれ達ゃ 泣かないぜ
はたらくおれ達の 世の中が
きっと きっと 来るさそのうちに
その日にゃ泣こうぜ うれし泣き
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