🎤歌旅日記≫🏃 【32】
◆訪問地
沖縄県南城市 知念岬公園
今回のテーマは、「知念岬公園にて8年振りの十六夜月の月出を堪能した後に表現する」です。
2021年は8年振りに中秋の名月が満月にあたるとしてテレビやネットは大賑わいでしたが、私としては8年振りの十六夜月に歓喜しており、せっかくなので最高の十六夜月の月出を知念岬で堪能しようではないかという旅でした。
≪楽曲について≫🎶
本楽曲は宮沢氏のファーストソロアルバム『Sixteenth Moon』に初収録。後にTHE BOOMのアルバム『OKINAWA~ワタシノシマ~』にも収録。
●初のソロアルバムについて
宮沢氏が初めてソロ活動を行ったのは、アルバム『TROPICALISM-0°』の後のワールドツアーが終わった時。ホコ天バンドからオーケストラのように大人数でのステージバンドへ成長したTHE BOOMと宮沢氏の音楽性。
バブル好景気にデビューした宮沢氏の音楽性は、ファーストアルバム『A PEACETIME BOOM』=『平和景気』(戦争景気の逆で平和による景気によって取り残される現実という皮肉)などの社会批判的な姿勢からアルバム『JAPANESKA』より沖縄音楽に傾倒し、アジアやキューバの民族音楽への興味を経てブラジル音楽に辿り着く。
しかし「FACELESS MANから5年間で、自分で“ああ俺は一人で熱いのかなぁ”って思う瞬間はたまにありました」と自身で語るように、その宮沢氏の才能バブル期というような膨れ上がりは才能景気というような皮肉的な状態となってしまい、THE BOOMというバンドの定義に乖離をもたらす。
宮沢氏は当時の虚無感について、「新しい事がしたい」と沖縄やブラジルの音楽を自身の表現に取り入れて海外でもツアーはしたけれど、だからといって劇的な変化があったわけでもなく、その時の自身の実力・身の丈を知ったことに留まり、THE BOOMの発展について煮詰まりを感じて方向性を見失っていた、と語っている。
そんな宮沢氏は、最初のTHE BOOM活動休止時にシンガポールでミュージカル『ナガランド』に出演したことをきっかけに海外で現地の人たちと作曲活動をしたいという意欲が芽生えていて、THE BOOMを再び休止したことを契機にロンドンとブラジルに連続で渡りソロ音楽活動を開始する。
本アルバムは、THE BOOMで広げた音楽性から宮沢氏自身が影響を受けてきた英米の音楽に帰属するという「原点回帰」をテーマに、The Policeやスティングのプロデュースを手掛けたヒュー・パジャムのプロデュースにてロンドンで製作された。
●本楽曲について
そのロンドンへの出発の間際に出来たのが本楽曲である。
曲作りの難しさについて「『風になりたい』を高校サッカーの両チームが演奏してたとか嬉しいわけですよ。(中略)ほんっとにそういう些細な一瞬の事で全部が救われたりするわけですよ」と語る宮沢氏の自信曲で、ロンドンのスタッフにも好評価でレコーディングもスムーズだったとのことである。
本楽曲は宮沢氏がソロ活動をするにあたっての不安や期待が歌われている。その中の振り返りとして、THE BOOMのメンバーを想って詞が書かれている。宮沢氏は以下のように語る。
「今まで4人だからできたんだって重々わかってるけど、“でも、それでも一人になってみるよ”という覚悟の歌詞だよね。『思春期』に入っている『サラバ』みたいな曲かもしれない。一人になってみる、という。また再会したい、でも再会するかもわからないけど、こういうことは言っておきたかったしね。」
本楽曲についてドラムの栃木氏は、メンバー間で「THE BOOMが好きだ」という話は10年近くも一緒にバンドをやっていたら互いにそう感じていてもいまさら口にするものでもない…というところ宮沢氏がそうして想いを曲にして発表したことを、「MIYAは優しくなった」と語る。
ここからは私がネットサーフィンで集めた噂話や邪推を含めて私見を語るが、ギターの小林氏は『極東サンバ』の頃から宮沢氏の音楽性の変容と探求に「ついていけなかった」とインタビューで語っている。次作の『TROPICALISM-0°』まで来ると、エレキギターがそもそも入らない曲が多くなってくる。
宮沢氏に対しての当時の音楽関係者のインタビューでも、宮沢氏によるメンバーの「振り回し」について突っ込まれ、最終的には宮沢氏が「振り回していたことは間違いない」と認めている。しかしながら、他のメンバーは衝突を避ける感じだったらしく、「言わない人達だから感じ取るしかない」と語っている。
そして、デビュー30周年を迎えた2019年に、「ただやりたいことをやりたいままに追求していったら、色々な人に迷惑がかかってしまったなという意識はあります。」と自身のこれまでの音楽性のなりふり構わなかった姿勢についての言葉がある。
それらの発言記録などから私は、本楽曲の「愛し合いたい人」「愛が足りない人」とは、THE BOOMのメンバーの「THE BOOMへの気持ちが離れている」ことを示唆していたのではないかと推測している。
その責任を感じ、自身の音楽性を高めてTHE BOOMの新たな躍進を誓う決意と改めてのTHE BOOMへの愛の表明が、本楽曲に込められた宮沢氏の想いだと私は思う。
また、本楽曲にある十六夜月について、「たまたまその言葉が出てきたというだけなんですが、十六夜月が僕にとって、印象的な月だったってこともありかもしれないですね。あの曲は、音を作る上でも、演奏する上でも、旅をすることが多いので、そういう自分のテーマ曲を作りたくて、作ったんです。」と宮沢氏は語る。
この十六夜とは古語的な読み方とかではなく当て字であり、「猶予う(いざよう)」が由来となっている。その意味とは「進もうとして進めないでいる」といった躊躇やためらいであり、その名詞形が「いざよい」である。
十六夜月は十五夜の満月よりも遅れて出てくる為、「ためらうように昇ってくる月」という意味で「猶予いの月」、それが転じて「十六夜の月」と呼ばれるようになったとのこと。
しかし、十六夜月という事で十五夜の満月が少し欠けた月のように思われがちだが、実際のところ、暦の上での旧暦の15日を十五夜とするがゆえに十五夜の日が満月ではなく十六夜の日が満月になることも少なくないらしい。
すなわち、この十六夜月の意味と実在のゆらぎにこそ、宮沢氏の表現への想いが込められており、「十六夜月に照らされて 地図を持たずに舟に乗る」「十六夜月に照らされて こぶしを胸に舟に乗る」というのは、ソロ活動への不安と期待、今後のTHE BOOMを含めた音楽活動へのためらいと決意の象徴としての十六夜月であると私は考える。
●宮沢氏にとっての月とは
アルバムタイトル『Sixteenth Moon』は十六夜月そのものであるが、その事について「そんなに深い意味はないんですが、曲ができてきた後で、月が多いなと気が付いたんですよ。多すぎるから、削ろうかと思ったくらいで。だから僕にとって、月がテーマだったんでしょうね、きっと。」と話している。
そんな宮沢氏にとって月はどういう存在か、月のどういうところが好きかの質問に対して、
「太陽を見るより、月を見る時間の方が多いってことかな。太陽は見ないでしょ。太陽は照らしてくれるもの、月は見るものっていうイメージが僕の中にあったという。でも月を見るって、よっぽどのことですよね。普通、夜空なんて見ないもの。月を見ている人がいたら、かなり不気味だと思いますよ。でも今回はそういう気分だったんでしょうね。」と答えている。
そのことについて、自身のラジオにてさらに踏み込んで語っている。宮沢氏の詩人としての感性や哲学的思考が伺い知れる内容なので、要約・抜粋せずにそのまま記す。
「何で僕は月に惹かれるのかなーって思うと、太陽は見ていられないじゃないですか。眺めていられない。だからみんな先を争うように夕陽に見とれる。12時間くらいの日のある時間でやっとあの時間だけ太陽に添える時間だし。」
「それでみんなあんな惹かれるんだろうって思うと、月っていうのはずーっと見ていられるし、月が出ている夜っていうのは考え事することも多いじゃないですか、悩み事があるとか。そんなときになんとなく見てる。」
「月のほうが自分の人生の中で見ている時間が長いからかなーなんて。でも太陽のほうが一緒にいる時間は長い。夜は寝るわけですから。でも月を見ている時間のほうが長い。不思議だなって。人間には光と影があるように空にもあって両方を僕は歌にしていきたいと思います。」
ちなみに、最初は『宮沢和史の世界』というアルバムタイトルにしようとしてたとのことだが、文字にしたら格好悪いと感じて取りやめにしたらしい。しかし、その想いは3枚目のソロアルバム『MIYAZAWA』で果たされる。そのアルバムへの想いはまたいつか。
●『OKINAWA~ワタシノシマ~』に収録のなぜ?
このTHE BOOMの沖縄ベスト盤は、沖縄とTHE BOOMのこれまでの関わりを感謝の気持ち込めてまとめてみようというコンセプトで製作されているが、私は発表当初、同じソロ曲の『沖縄に降る雪』と比べて本楽曲だけ妙に浮いている気がしていた。
聞いた話だと本楽曲はサビが沖縄音階であるとかあったけど、リストインした理由について宮沢氏からの明確な発言を入手することはできなかった。
これは推測でしかないが、この沖縄ベスト盤を製作している間に『青空の下、星空のもとで』という野外ツアーを行ったり、アルゼンチンで『島唄』がカバーされてヒットした事があったりしたのがセットインの要因ではないかと私は考えている。
30周年の際の振り返りにて宮沢氏は『FACELESS MAN』くらいからは、周りのミュージシャンまでもが平凡に見える・退屈に見える時もあったとのことを正直に告白している。
常に新しいことをしたいという表現欲求が肥大して弾けて虚無感に苛まれた時にソロ活動を行い、それからTHE BOOMを再始動させても『故郷になってください』の中で“音楽性の立ち位置の無さ”を吐露しつつも、アルバム『LOVIBE』で愛の波動を見つめて『いつもと違う場所で』で生かし生かされる事の感謝の循環の真理に行き着く。
そういった音楽性の変遷を経て、数は多くないもののコンサートが開催されるのも初めてな場所などを廻った『青空の下、星空のもとで』という野外ツアーを開始する。
この『青空の下、星空のもとで』の野外ツアーにて「自分の身の丈に合った歌にたくさんの人たちが共感してくれるというのがわかった」と宮沢氏は実感する。
宮沢氏は『青空の下、星空のもとで』の感想として、「あのツアーで子どもたちが喜んでくれたり、お年寄りたちも歌を聴きに来てくれたり」「そういうところを追求するというのは、やりがいがあることだと思った」と語る。
そして、「そういうおじいちゃんやおばあちゃんの縁側にまで届く歌を追求していきたい」という新たな目標を見出す。
そんな野外ツアーの最中、アルゼンチンで『島唄』がカヴァーされ、しかも大ヒットしているというニュースが舞い込む。当時「どうしてJ-POPに戻ってこないんですか?」という失礼かつ低次元なインタビューさえも受けていた宮沢氏にとって、自身の創作した歌が詠み人知らずで海を渡って地球の裏側で多くの人を感動させ勇気づけていた報せは大きな自信に繋がったことだろう。
この一連の宮沢氏の音楽の歩みこそが、本楽曲を胸に可能性の海に船出して辿り着いた納得いく応えなのである。
その喜びと感謝を刻みたく、この沖縄ベスト盤にリストインしたのだと私は考える。そして、だからこその『砂の岬』⇒『十六夜月に照らされて』⇒『島唄 2002』⇒『十九の春』⇒『沖縄に降る雪』⇒『墓標』の曲順なのだと、本楽曲がこのアルバムにおける起承転結の“承”であったのだと私なりに納得に至った次第である。
≪歌旅について≫🏃
たしか6月頃にkanakoさんに「ワタシノシマの後半6曲を全部やろう」と話を持ちかけた。先の『墓標』も順調に進んでいた夏頃にkanakoさんより、「今年は8年振りに暦上の十六夜月と実際の十六夜月が合致する」との情報の差し入れがあった。
その十六夜月を必ず動画にしようと決意し、8年振りに満月となると騒がれていた中秋の名月をデモンストレーションにすることにした。当初は那覇市のうみそら公園の十六夜月をとらえる予定で、前々日から下見をした。
しかし、保険のつもりだった中秋の名月が思いがけず素晴らしく撮影できてしまい、これはこれで別の動画にすると決め、真の十六夜月の撮影を急遽、南城市の知念岬で行うことにした。月出の5時間前の決断であった。
知念岬公園は太平洋に面した東海岸を一望できる公園で、沖縄の初日の出のニュースはだいたいここから撮影されるほどの有名スポット。しかしながら、私自身、この公園にはまだ一度も参上したことがない。いつもながら「歌旅いけばなんとかなるさ」の勢いで、空に赤みが差しだす頃にいざ到着。
駐車場に到着して早々、「なんじゃ~こりゃ~❗」という圧倒的絶景❗…なのだが、ヒャッハー❗してる気持ちも据え置かなければならないほどに時間がない。この日の月出の瞬間を捕えることが出来なければ、私の表現の完成度は納得に届かなくなってしまう。絶対に失敗できない緊張感が足の動きを早くする。
10日後に緊急事態宣言の解除を迎えるとあって、公園の人出は少な目である。恐らくこの付近の若者たちがソーシャルディスタンスを保ちながら、駐車場でたむろっている。なだらかな斜面ではミセスが二人、紺碧に差す茜色が次第に藤色に移り変わるのをユンタク(おしゃべり)しながら眺めている。
宇宙船の発射台に向かうような素敵な橋を渡った先に、海に最も近い広場がある。まず目にしたのは、風の少ない雄大な夕凪を手すりに腰かけて見つめる若者。ていうか、その手すりの下は崖なので、見ててちょっと怖かったりw。でも、この素晴らしい自然がいつでも語りかけてくれる環境というのは本当にありがたいよね。
凪いだ海面に空と雲が反射する。その雲の中によくみると虹がある。それを幸せそうに見つめる赤ん坊を抱いた若い父と母。世界中がコロナ禍で疲弊して経済が健康がって騒いでいるけれど、ここにはお金では買えない自然と幸福があるのだよと知らされた。
この知念岬には地域猫のさくらねこがいる。避妊手術を受けた証として耳が桜の形にカットされてるから、さくらねこ。彼らは本当に堂々としている。この公園にいるさくらねこは、心から人を信頼しているのだろう。そして、この公園にいる人たちも彼らの立場を尊重し、追い立てないし傷つけないということ。
この公園のさくらねこは逃げないし隠れないし、人間にエサを媚びない。もちろん地域猫活動の方々が定期的にエサをあげに来ているとは思うが、それ依然にこの広大な自然の中に彼らの食べ物となる生き物が多数いるからだろう。満ち足りている。その佇まいに神々しささえ感じる。
この場所は猫、鳥、虫、海、空、風、森がとても生き生きとしている。恩納村のナビービーチでも感じたが、本来ここは彼らの場所であり、この雄大な自然の中においては、我々人間の方がそこを切り崩して入り込んで彼らの領域に“お邪魔している”のだ。
コロナ禍で人流が抑制されたからこそわかった歴史ある自然の尊さ、太古の琉球を感じることの大切さ。コンクリートの世界はせいぜい100年くらいだろう。しかし、この場所のこの自然は、何千、何万年前からこうなのだ。
さらにはこの100年の間に、この地にも激しい戦争で沢山の血が流れてた。この公園に入口付近には日本軍の豪の跡がいまだ残されている。
私はこの歌旅で“自然への畏敬”と“文明のおごり”について深く考えさせられた。直感を信じてここに来て本当に良かったと思えた。
その感覚を公園にある「宇宙軸より無限の記憶」というオブジェが象徴してくれているように思う。このオブジェに特に説明はなくこの文言だけならなんのこっちゃよくわからんが、これは考えるより先に、ここに居たらそう感じることそのものの表現だなと思う。
陽が暮れてくると公園から人が引き始める。前日の中秋の名月なら人は多かっただろうけど、今日は十六夜月で関心が薄いのは当然のこと。でも、私にとってはこの月こそが本番なのだ。南の空には雨雲があり、ここでも少し雨がちらつく。緊張が高まる。
いよいよ十六夜月の撮影を始める。下見無しがゆえにどこから月が出るかわからないので、適当に目星をつけて木にアーム固定して定点撮影開始。
そしてついに、水平線に明かりが出る。しかし最初の場所のヤマが外れてしまい、慌てて場所を移動する。
私のカメラは写真の場合だけ、ナイトビジョン撮影がある。しかし、自動でそれが行われるがゆえに、逆にナイトビジョンで撮影されない時もある。そこはもう賭け。どれくらいのナイトビジョン撮影ができるか。
そして、闇の中から赤い小さな光が現れると、そこが夜の水平線と空の境目になった。ついに出た❗真の十六夜月❗。
この神秘的な光景をこの場で見つめているのは私一人。なんとも贅沢な時間と空間だが、この十六夜月に見とれているわけにもいかない。
分単位の感覚を置いて撮影するも、やっぱりナイトビジョンがうまくいったりいかなかったり。
そうした撮影調整中にも十六夜月の高度は上げり、大きくなった黄色の月明かりが海に光の道を創りだす。見事である。この数日の取り組みが報われたとホッとした。
しばらくして若者グループもやってきて、十六夜月見を堪能している。私の撮影時間には限りがあったのである程度のところでその場を切り上げた。
帰り際、追加の動画撮影を駐車場から行おうとしたが、テーブルスペースで麻雀している人達がいて断念。追加撮影ができなかったことよりも月見をしながらの麻雀に風流を感じ、この地の人々の心豊かな暮らしぶりを垣間見れたことを嬉しく思った。
8年振りかつコロナ禍による人出抑制の中の大自然の中での十六夜月の月見は、もう二度とない本当に貴重な素敵な体験であった。大満足の納得である。
≪動画について≫🎥
知念岬に行くまでは十六夜月だけの内容にしようと月出と月入りを撮影するつもりだったけど、知念岬での体験とそこにいた人々の光景が素晴らしくそれらを盛り込むことに変更。
この大海原に一隻だけ漂っていた船をたまたま撮影できたので、Aメロは数ある動画や写真からその船と遠く離れたこの場所にいる人達との対比を出来るだけ盛り込んだ。水平線の位置合わせをこだわった。モニュメントの夕暮れ空の反射が美しい。
Bメロは十六夜月のデモンストレーションとして定点撮影した日暮れから夕闇の様子を倍速にしたものを採用。とても良い表現ができたなと思うが、この日暮れの後に予想とは違う場所から十六夜月が出てきたので、焦って移動することに。
サビは今回の動画のメインである十六夜月。用意できた枚数は少なかったもののナイトビジョンによる定点撮影のスライドで素晴らしい撮影表現が出来た。
実は柵にスマホを置いただけのアナログ撮影にてそれぞれの写真に微妙なズレがあり、編集にてそれぞれの写真の十六夜月の中心を慎重に揃えている。さすがに限界あって微妙にズレているけど。
十六夜月の後のパートは、当初はもう少し場面展開が多かった。しかし、この絵画のような素晴らしい景気をパッパパッパと変えていくのは、この楽曲の良さおよびkanakoさんの渾身の伴奏に対してもったいないことをしてるなと思い返して、場面展開を2つまでに絞った。そして明るさ変更を施した画像を6枚繋げることで定点撮影のような「徐々に明るくなる風景」の表現とした。
≪歌入れについて≫🎤
十六夜月に照らされて 【2番】
https://nana-music.com/sounds/02d39cb9
前回は2番を歌っているが、その際に込めた私の想いは「インターフェース整備が完了し本格的に表現活動をできる喜びの表現」と「当時闘っていたサイコパスとの決戦を決意した日」というものであった。2つ目はなんじゃこりゃだけど、その結果、神奈川の本社勤務になったものさ。
今回、kanakoさんに伴奏を依頼した上で指定したのは「1番を歌いたい」という要望であった。その1番は、前回の歌唱から長い旅を経て挫折して、でもそれが実は救いの道で、不安と安堵の混乱の中でkanakoさんとの伴奏共同製作を開始して、コロナ禍という先の見えない時代に大逆転の希望を見出したいまの私にふさわしい歌詞内容だなと思ったからである。
実はこの前日にアップしようとしたが、nanaのキャプションの字数制限10000を越えてしまったのでアップできなかった。キャプションの再編集を行う時間が必要になったので、ならばと再度歌入れをして納得を追求。
宮沢氏の想い、知念岬の優しい世界、それらを表現すべく原曲よりはやや低めに声のトーンを合わせてアリーナエフェクトを強めにして、「十六夜月の柔らかい光」を歌に宿すことができた。
素敵な伴奏にて歌わせて頂きましたkanakoさん、ありがとうございます。
私の無茶な依頼に対して、よくぞここまで応えてくれました。前回の『墓標』で習得した打鍵のギター表現など、原曲再現への執念の賜物です。また、知念岬の十六夜月の感動を共有できたことが「水平線から昇る月光のストリングス」として表現されていて、本当に素晴らしいです。
≪最後に≫🌝🗺️⛵💞🏙️
去る12月9日に宮沢氏のメンバーシップイベント『ヤクシクドゥクル』の開催に際して、ライヴでの演奏楽曲のリクエストが募集された。私は『てぃんさぐぬ花』と本楽曲を、知念岬の十六夜月のスライド動画を添えて応募したところ、なんと2曲とも採用された‼️これは凄い‼️
THE BOOM時代の宮沢氏といえば、「サウンドを聴いてほしい」という自身の創作への想いからファンと距離を置いているような存在だった。それが、引退から復帰した近年は、SNSにてファンの声を聴いてくれるような近さになっている。
それでもファンへの感謝は表現で返そうというスタンスは変わらないものの、こんなにもダイレクトに私からの“手紙”を読んでくれたのがわかるのはとても喜ばしい。(宮沢氏に私からのメッセージを読んでもらうのは二度目。前回は宮沢氏の徳之島トラベルツアーにて。)
そして今年の1/18の宮沢氏の誕生日が十六夜月であり、なんとその日に息子の氷魚さんが日本アカデミー賞の新人俳優賞を受賞するとグッドニュースが‼️
本楽曲を作った時の不安と決意の中には、父としての不安や決意もあったろう。俳優としての父を息子が越えていった日に十六夜月が輝くというのもなんだか象徴的である。(宮沢氏が『ヤクシクドゥクル』で氷魚さんの事を「若造が」って呼んでたのはスペシャルなジョークだったw)
実はこのサウンドを本年の元旦にアップして「初月出」にしようという案が当初あったけど、『墓標④』が遅れ遅れて。さらに今回のキャプション書きも3週間かかったり。
さらに字数制限の壁にぶち当たり修正削除をしてようやくアップできた本日の宮沢氏のNHK『うたコン』出演後の地域ニュースにて、今日が沖縄の旧正月であることを知ったのであった。
たまたまだけど、旧正月の「🌝初月出」には間に合って良かった〜と一安心。
🎍明けましておめでとうございます‼️w
※トップ画像は、私のリクエストで本楽曲を歌う宮沢氏。
#宮沢和史 #THEBOOM #十六夜月に照らされて #SixteenthMoon #OKINAWAワタシノシマ #知念岬 #ヤクシクドゥクル #沖縄に恋した宮沢和史祭り
Comment
4commnets
- ニヤ☆ゆっくり聴きnanaさせて下さい〜💦☆
- kanako伴奏作りのアドバイスや、伴奏サウンドの音量調整など、色々とお世話になりました🌕✨ キャプションを読みながら「この曲って、こんな深い想いが込められてたのか〜!」と、長年大切に思っていたのに理解できていなかったことが沢山あることを知り、感動✨と驚き✨でいっぱい。 初めてじっくり読んだ時は、キャプションを全て読むのに40分かかったことにも驚き‼️ ニヤさんの歌旅写真や動画を参考に音作りを進めたのだけれど、出来上がった動画は、サウンド作りの中、頭でイメージしていた映像にとても近いように思います。ウットリ〜っとなってしまった。 長年のこの曲に対する想いを伴奏に込めることができ、またこのように素晴らしい動画と歌で仕上げて下さり、とても嬉しく心から感謝です🌕✨✨
- ニヤ☆ゆっくり聴きnanaさせて下さい〜💦☆
- エリス羽衣美しい映像ですね✨✨十六夜月が海に映って道を作ってるところがすごく素敵✨✨ いつもながら長いキャプションだわ〜と思いながら読んでて、最後のほうでちょっとぶっ飛びました。nanaのキャプションの限界って10000文字なんですね🤣🤣🤣そんなに書けるんだ🤣🤣🤣なのにそれを超えちゃったんだ🤣🤣🤣さすがニヤさん❣️ 私もフレンドさんと共同でキャプション上で物語書いたりしていますが、1500文字くらいにどうにか収めようと毎回四苦八苦しているの🤣🤣🤣イヤー10000文字くらい振り切ってもいいかもね。読む人は読むし、読まない人は短くても読まないもんね😊 いつもながらこだわりの演奏歌唱、映像、キャプションと全て楽しませていただきました👏👏👏