声劇 1995.1.17~ある結婚式~倒木の敗者復活戦
中島みゆき
声劇 1995.1.17~ある結婚式~倒木の敗者復活戦
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SAKIさん、ご一緒させていただきました🙏
せっかくのお歌にセリフを重ねてしまい、申し訳ありません🙇
BGMには、ぜひとも、この歌を!!と
思ったのですが
伴奏者の方、退会されているみたいですよね😅
歌を重ねられたサウンドしかなく
なら
SAKIさんのお歌に!!と思った次第です
ーーーーーー以下、2003年の1月17日、当時、やっていた個人サイトへUpしたものです
これを元に、一人で複数役を演じる声劇とさせていただきましたーーーーーー
1995年1月・・の、17日より、少し後
ところは神戸に、1組のカップルがいました
本来なら、彼らは、今頃、夫婦になっているはずでした
震災で、結婚式ができなくなったのです
彼「式は、当分延期やな・・」
彼女「・・いややな。私」
彼「そないなこと言うても。今できるはずないやろ」
彼女「でも!ここで式延期するのは、なんや、私ら”震災に負けた”みたいでいやなんや・・」
彼「震災に・・?」
彼女「負けたくないやん・・」
彼「・・そうやな・・」
二人は、生田神社へ向かいました
境内には、震災で家を失い、テントを張って、いえ、テントさえ張れずに、野宿している被災者がたくさんいました
その人たちの横を通って、二人は、神主さんにお願いに行きました
「結婚式?!今から・・ですか?」
驚く神主さん。当然ですよね
彼女「あほなやつって思われて当然です
でも、私ら、ここで、震災のせいで式を延期するのは、なんや震災に負ける気がして、いやなんです
白無垢も、紋付袴も、参列者もなしでええです
祝詞だけでも、あげてもらえませんか?」
二人の思いは通じ、式は挙げられました
挙式後、神殿を出た二人は、覚悟していました
境内にいっぱいの被災者の人たちの非難の的になること
”こんな時に結婚式やと!”
”私ら、住む所も、何もかもなくしたっていうのに、その前でやるか?!”
そんな罵声を浴びせられても、仕方ないって思っていました
だけど
”おめでと!兄ちゃん、姉ちゃん”
”幸せになあ”
”どん底からの出発や!この先何があっても大丈夫やで!”
”なんや私らも負けてられへん気がしてきたわ”
”ほんまやな、震災に負けんと幸せにならんとな”
”よう、今、ここで、式挙げてくれたなあ。ありがとう”
実際に二人にかけられたのは
そんな祝福と励ましと感謝の言葉
普段着の花嫁の瞳にうかんだのは、思いがけない喜びの涙でした
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これは、私が以前読んだ本の中にあったお話
本のタイトルも、なぜ、どこで読んだのかも忘れてしまいました
でも、確かなのは、その本には「阪神大震災」に遭遇した人々の、実話の数々が収められていたということ
詳細は異なっていると思います
二人の会話も、私の創作です
でも、あの時、あの地で(神戸の神社、確か”生田で”という記述があったと思うのですが・・)”震災に負けたくない”と
延期されるはずだった式を挙げたカップルがいたことは事実です
きっと被災者の方、その友人知人の方、それ以外の方..賛否両論あるとは思いますが
私は
”震災に負けたくない”
この想いに心が動きました
そうだよね!って言いたくなりました
この想いがある限り、神戸は、きっとほんとに復興する
そう思いました
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#ことのは声劇
#阪神淡路大震災
#阪神大震災
連続で申し訳ありませんが、明日、明後日と
やはり阪神大震災関連の詩のようなものを投稿したいと思っております
よかったら、そちらもお読みいただけたら嬉しいと思っています
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ーーーーーー以下、スルー推奨・長文w思い出話ーーーーーー
覚えています
崩れた高速道路に引っ掛かって、落ちそうで、落ちる寸前に助かったバス
横倒しの阪神高速
崩れ、屋根の端が地面にくっついて、普通に地面に立って屋根瓦に触れる状態だった生田神社
燃え続ける長田の商店街
完全に横倒しになって道路をふさいでいたビル
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当時、大阪府在住、自宅は震度3ぐらい
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飛び起きたけど、また、寝ちゃって
TVではNHKのニュースを母が見ていたけど
「神戸は震度6らしいです」
”らしい”って何?と思いながら
関西私鉄とJRは軒並み止まっている中、最寄り駅からの私鉄は動いてはいる・・・というテロップを見て、出勤
市営地下鉄との乗換駅までは出られたけど、その先が行けない
駅員さんが「バスは動いてます。臨時便出てます」とビラを配ってた
公衆電話の長い列に並んで、会社に電話をかけた
コンピュータ関連会社で、某企業のシステム動いていたから夜勤の人もいて
「大丈夫。まだ、誰も来てないし、来れたら、ゆっくりおいで」と言われ、バスに乗って出勤
1番乗りに近かった
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インターネットが"一般に"普及し出すのは
いわゆる「Windows95」が発売されたのは
1995年11月
つまり「ごく一般的」には
まだ、インターネットは、なかった
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神戸市の、須磨区と灘区に、1人ずつ社員がいた
須磨区の人からは、地震発生直後に、公衆電話から連絡があったと聞いた
少しずつ出勤してくる人たちと
倒れたキャビネットを起こしたり、机の上、散乱した書類を片づけたりして
何時頃だったのか?記憶は定かではないけど
誰かが、何気なく・・・つけたTV
映った映像と語られる言葉に、皆、愕然となった
「○○・・・君、まさか・・・」
誰かが、慌てて、灘区の社員に電話をかけた
つながらなかった
呼出音すら鳴らない
NTTのお決まり文句のメッセージ
直属の上司は、ずーっと、スピーカー機能ONにして、かけ続けてた・・・
・・・無事、その社員と、電話で連絡がついたのは3日後
住んでいたマンションには亀裂は入ったけれど崩れはしなかったと
その後の数日間、数週間
TVに、新聞にくぎ付けになった
どんどん増え続ける死者・行方不明者
発表される名簿を食い入るように見ていた
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個人情報保護法は、まだ、なかった
漢字のフルネーム
年齢も・・・載っていた気もする
新聞の、ほぼ一面を埋め尽くす・・・もっと?・・・ほどの数
最終的には死者6000人以上
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被災地に
家族はいない・親戚もいない
でも、友人なら、知人なら
もう、年賀状さえ、やりとりしていなくても
まさか?もしや?
あの炎の中に・・・?!と
大学で同じ学科だった友人のうち、年賀状のやり取りもしていた・・・「また、会おうね💕」って、つい二週間前、葉書を受け取った・・・二人が、西宮市と神戸市灘区に住んでいた
何度も電話をかけた
西宮の子とは、2,3日でつながったと思う
「隣のビル、全壊したけど、住んでるマンションは大丈夫だった。ヒビは入ってるけど」
そう言って笑っていた・・・
灘区の友人とはたぶん、1週間くらい連絡つかなかった気がする
やっと聞いたのは「無事です」の留守電
家からではなく公衆電話からかけていた
その方がつながりやすい、と聞いたから
受話器、落としてw一回切っちゃった^^;
驚いて、嬉しくて
もいちどかけて、何度も繰り返し
3分?めいっぱい、聴いた
確か、駅だった
他人に見られるかも?なのに、泣けてきた
ーーーーーー
昨日と、同じ、少し素敵な?今日
今日と、同じ、少し幸福な?明日
続くとは限らない
・・・生きてるって当たり前じゃない・・・
だから・・・✨✨✨
Comment
6commnets
- ことのは逢(あい)@Androidさん あ、やっぱり?😳 そうですね😌🍀 挙式が延期になってしまった人 何人、いえ、何十人・・・かな でもそういうことに負けたくないって気持ちすごく素敵だなぁって思うんです💕😉✨
- ことのは逢(あい)@Android
- うか🐾城村優歌🐈今週コメントおやすみし〼🙇♀️何か書こうと思ったんですが、なかなか纏まりません。震災当初とその後、何年経ったかによっても、当然のことながらものの感じ方は変わっていくものだけど、その時の気持ちを風化させないのは、とても大事ですよね🥰 未だ受け止めきれない人もたくさんいると思いますし、そういうこと全部含めて、その時々で受け止めていくしかないのかなと思ったり。 キャプションにもサウンドにも、胸を打たれました。SAKIさんの歌声も、みゆきさんの歌詞も沁みます😢 心に迫る声劇をありがとうございました🍀
- ことのは逢(あい)@Android
- ことのは逢(あい)@Android
- SAKI@仮眠中逢さん♪おはようございます😊 この曲は、阪神、東北の震災の日、節目節目に、私もリポストしていた曲で、今回も、、と思っていたら、逢さんが、思わぬ台詞でのコラボをして下さって、朝からとても感動しております😭😢 逢さんが読まれた本の存在は、知っています。読んではいませんが、このお話も、実話なんですね~😢 そこに逢さんの想像力豊かな感性で、 台詞を付けられて、、とても聴き入りました。 当時、ビートたけしさんが、「6000人の人が亡くなった…のではなく、6000の人生が奪われた…?的な発言をされていたのが、とても印象に残っています。 逢さんなら、ご存知だと思いますけど、震災直後のコンサートで、ラストに「ファイト!」を歌われた時の、みゆきさんのMCと、あのファイト!の歌唱は、過去のどんな「ファイト!」よりも、感動もので、誰かがUPしてくれた音源で聴いた時、鳥肌が立ちました。 「縁会」での、この曲を歌うみゆきさんの祈りの表情も、忘れ得ません。 今回、私の拙い歌唱に、感動的な物語の台詞を重ねて頂き、本当に光栄です。 ありがとうございました😊☘️ (長くなってしまってすみません~🙇♀️)