未来の果実
キリンジ
未来の果実
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そろそろ季節は夏を忘れる。虫の音が夜が変わった事を教えている。長い長い秋の夜を…
「月が綺麗だぁな…ふぅ…」
宿屋の窓に体を乗り出して、腰をかけた。太陽のように大きな月が長く長くクロエをさして、部屋には間延びしたクロエの影が落ちる。綺麗に形作って…部屋にはもう何も無い。ただ、いつものクロエの大きな背負の木箱が一緒に月を眺めていた。
「そろそろ商品も尽きたしね。世界樹のお茶も売りに行きたい…。また移動だ、ここに来た時は地味な街かなって思ったけど…」
母の影がクロエを支配する、寂しい夜の空気が額を撫でる。クロエは静かに微笑んで目を閉じる…。
「そうだなぁ…この街には、色んな経験をさせてもらえたよ。紅茶も買いに行けたし、美味しいケーキの新店やロロのパンも食べた。世界樹で不思議なモノも見つけたし、綺麗なエルフさんから珍しいコスメも預かった。どこかでオートマタの少女にも会ったかも知れないな…何だかたくさんの夢をみてたようだな…夜の蝙蝠のクセにね」
いつも旅立つ前は心がざわめいて眠れない。いい街もあれば嫌な街もあった。それぞれにそれぞれのかけがえの無い思い出。でも、キリエの澄んだ空気に漂う街の匂いを感じながらぽつりと呟く。
「…僕が…私が、ここで産まれ育ってたら、また違った人生だったのかなぁ?母さん…商店街で二人で買い物してさ…私…」
頬に月の光を浴びてキラキラと流れる、娘だった時のクロエの感情。しかし、クロエはそれを綺麗に拭った。
「ううん、忘れてね、母さん。僕は産まれてきて、こうやって何とか生きてる僕とこの人生が嫌いじゃないんだ。この街も、貴女も…ありがとう。最後に魔法をかけてみせようか。僕のとっておき…」
木箱はやはりただ静かにクロエの傍に佇んでいる。
「ええ、今日でしばらくサヨナラなの!?」
「わあ、困るわぁ…でも、次に来る時には他のエリアの珍しい品をまた持ってきてくれるんでしょ?」
「クロエちゃんが居なくなると、キリエの活気が落ちるなぁ。いつでもおいで。俺の店の前の場所ならいつでも貸すから」
もう商品はカツカツで、カウンター代わりの木箱の上は何とも寂しい内容になっていたが、客は次から次へ来てはクロエのしばしの別れを惜しんだ。そしていつもの時間に腰が酷く曲がった常連客が現れた。
「お客さん!僕ね…」
「最近商品が少なくなってきたから、そんな気がしてたの。商品調達出来ればまだここに居れたかもしれないのに、私が我儘な事をお願いしちゃったわね…」
「んやぁ!予定通りだよ。秋口ぐらいにまた移動かなーって思ってたんだ…」
レジスタンス運動のかつてのリーダーは、クロエの言葉一つで気持ちを察したのか深くは詮索せず、ただ感謝だけを述べて過ぎ去ろうとした。クロエはご愛好の感謝に!!と紙袋いっぱいのパンを差し出したのだが、逆に老人がこんなに食べれるわけないでしょ?と突っ込まれ、旅のお供にして欲しいと半分渡された。
さて、閉店時間だ。商品も無くなった事だし、片付けたら飛竜便に乗り込んで旅立とう…と片付けを初めていると、ニフが見計らったかのように現れた。眼鏡が夕日を反射して、色付きのサングラスのようだった。
「街の方々が口々にクロエさんを惜しんでいたので、もしかしたらと思ったんです…」
「流石、やっぱり理事会員の人は抜け目ないというか…。まぁ、察しの通り。僕はまた移動しないと商売できないからね。そろそろまた飛び立とうと思うんだ」
「そうですか…そうですよね。クロエさんにはクロエさんの生き方がありますものね」
ニフは自分に言い聞かせるように呟いた。少し何かを言いたげな表情。クロエは笑った。
「僕ね、こう見えて仕事は律儀にこなす方なんだよ?情報屋なんて、信頼あってこその商売やってるからね。…受けた依頼は忘れてないよ」
その言葉にニフはホッと胸を撫で下ろした。そして、世界を旅する旅商人のクロエが何をこの街の名物だと思ったのか、その答えをワクワクしながら待った。
「はい!」
手には見覚えのない種がひとつ…
「え?これって…?」
「ごめんね、ここって本当に何を名物にしていいか分からないんだ。僕ね、この街で沢山の人に会ったし色々な物に触れたけど、本当に皆魅力的で何にも似てないんだよね…こんな街、正直初めてだよ。街の特色ってあるけど、ここはなんて言うかな…虹色ネオンって感じ…伝わる?」
ニフは眉間にシワを寄せつつ首を傾げるが、クロエは構わず続けた。
「本当に楽しかったよ!良い商売場所を見つけた気分。だから、僕からの最大の感謝だよ!…これはね、夢の果実っていう果物を実らせる木の種なんだ。んで、これがその果実だよ」
そう言うと木箱から何個か果物を出すが、どれもバラバラで違う種類の果物のようだ。
「これ、全部夢の果実なんだ。この植物は環境適合能力がずば抜けて高いのが特徴で、同じ種から育てても環境が違うと全く違う成長をするんだ…これ、食べてみてよ」
いくつかの夢の果実を切って渡す。水分が少なく濃厚な甘さのものや、酸味が強くて固いもの。水分が多すぎて噛んだだけで汁の垂れるもの…。
「それは砂漠地帯の集落でとったやつ。それは海辺の街、それは沼地で自生してたものかな…凄いでしょ?」
「す、すごいです!色も形も違うし…まるで新しい種類を一から創造するみたいな…」
「そう。品種改良を手軽に出来る夢のような果実。…ねえ、このキリエってどんな味かな?」
クロエの言葉にニフはハッとした。
「名物がないなら作ればいいかなって。キリエだけの夢の果実。街に住む皆が作り出す、ただ一つの果物…魔法みたいだよね?良いでしょ?」
「なんて素晴らしい!!早速植物園に栽培をお願いしに…!」
「ダメ。それを植える所は僕もう決めてるんだ」
そう言うと、フラフラと歩き出す。ニフはキョトンとしながら後を追う。
たどり着いたのは商店街の広場。中央に街灯代わりの蛍石が煌々と辺りを照らす。
「ここ程、キリエっぽいところないよね。キリエは商店街の街だから…このシンボルの傍に植えたいんだ」
隣にいるのは理事会員。協会の関係者に許可を取るのを任せると、クロエは種を植え付けた。…成長の早い植物だ。自分がまた来る頃には芽が出てるかもなと想像すると、心が弾んだ。
「…本当に、街に住むと逆に見えないものがあるんですね…今回は本当にありがとうございます。理事会には果実の完成を待ってもらうようにお願いしておきます」
クロエは穏やかに微笑むと、じゃあねと手を振った。その姿をみて、ニフは声を潜める。
「…お願いした件は、どうぞ引き続き情報を集めていただくようお願いします。やはり、麓のエリアへの理事会の動きが不自然なのです…単なる杞憂ならいいのですが」
クロエは振り返る。
「僕ね、こう見えて仕事は律儀にこなす方なんだよ?情報屋なんて、信頼あってこその商売やってるからね。…受けた依頼は忘れてないよ」
その言葉に、笑顔はなかった。
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キリエの名物を作ることを提案しました。
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