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    竹ぴよ
    就職して時間が経ち、東北地方の仕事が回ってきて涙した。自分が出来る唯一の復興支援。製図。現在は、新しい夢を見つけ、退職。後輩達に引き継ぐ。地震に負けない設計、頑張って欲しい。10年が経過したが、当時の出来事・気持ちは思い出せる。
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    竹ぴよ
    帰宅。深夜。停電は復旧していて、テレビを視聴。東北地方の信じられない光景。津波。続く余震。火災。原発の恐怖。地盤の液状化。犠牲者。自分の無力さを思い知らされた。
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    竹ぴよ
    当日、自分は大学3年生で、(後に就職する)会社でアルバイトをしていました。パソコンのCADで設計図を書いてて、突然、社内がゆっくり揺れ始めたと思ったら、揺れが長く大きくなっていき、柱がぐにゃぐにゃ歪み、動くはずのないコピー機が移動し、給湯室のガラス類が割れていく音がしました。副社長の指示で、1Fまで避難し、16時に解散。金曜日。来週月曜日以降の出社は未定。会社の先輩が地元駅まで同じと知り、歩いて帰る事に。途中、窓ガラスの割れたビル、機能していない信号機、帰宅難民の大行列、ごった返すコンビニ。6時間30分歩いて帰宅。実家は停電していて夕飯は無いと知り、先輩と唯一営業していた居酒屋で夕飯。