「恋予報:空蝉編」1
秘密結社 路地裏珈琲
「恋予報:空蝉編」1
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陽炎諸島を出発して数日、飛空挺の中は今までになく静まり返っていた。
怪我人への配慮や、植え付けられた不安感から口数が減ったものも居ただろうし、理由は様々だと思う。
時折、空元気を繰り出してまで、みんなを励ましにかかる健気な娘がいるおかげで、思い出したように活気が戻ってくることがあったけれど...こういう時いつもなら真っ先に、やかましいくらいの華やぎを見せる“あの子”の声はない。
そして俺はその件について、大変な心当たりがある。
「なあ、せみみん。これ昨日の会議の録音なんやけど、ちょっと議事録」
「...置いといて、後で書き起こしとく」
手にしているものが、漫画であるか会議資料であるかしか差異はなく、これはまるっきり、子供がなあなあに喧嘩の仲直りを持ちかける時に使う、常套手段。
追い詰められた、32の男が選ぶ手口がこれだ。
おいおい、肝が座って口が達者で通る男だったはずじゃないか。修羅場をくぐった仁侠者の癖して、この涙腺の奥がぐらつく感覚は一体なんだ。
情けなくも俺、イトウリュウジは、空蝉の部屋の前で立ち尽くしたまま、歪む口を無理やりにヘラヘラ緩めて、短く”おう“とだけ声を絞り出した。
俺は先日、島滞在中、取り返しのつかない一言を彼女に投げつけてしまった。
”これは、お前を守るんは、俺の仕事やから。“
彼女の涙と、背中に刺さった、力の無い”ごめんなさい“の一言。
こみ上げてきた後味の悪い記憶から逃げるように、俺は少し大袈裟に踵を返した。
もし、さっきドアに手をかけていれば、彼女の部屋の鍵が開けてあった事に気づけたのだろうか。
そしたら俺は、精一杯の弁明と謝罪をもって、元どおりの兄弟みたいな上司部下の関係に戻れたのか?
いや、どちらにせよ、踏み込む勇気なんかはなかった。
気遣いを装った、自分にとって心地の良い距離感の向こうで、彼女が小さく鼻をすする音と、何かに引っかかるようにゆっくり落ちる、施錠の音がした。
長いこと安寧な停滞期に甘んじていた、俺の複雑な片想いに、ヒビが入った音だった。
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「ねえ、そういえば番頭どうしたの?」
「...なんかこの間のアレで、せみみんと色々あったみたい」
続
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