第4話「蒼に沈む珈琲屋(3)」(テル)
秘密結社 路地裏珈琲
第4話「蒼に沈む珈琲屋(3)」(テル)
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燃え盛る火の手だけならまだしも、足元を水流がさらう。退廃的で美しかった街の風景は、あっという間に地獄と化した。私はりくちゃんと秋那兎さんと一緒に、手負いのスズキさんを肩に寄りかからせ、ひた歩く。
あの正体不明のガスマスク野郎どもは、軽やかかつ鮮やかに、颯爽と高質な靴音を響かせ、行ってしまった。まさか海上からつけ狙われていただなんて、全く状況が読めない。ただひとつ言えることは、あのカメに、私たちが期待していた、ひと夏の夢とロマンでは済まされないような、何かとんでもない価値がついていたということだ。
スズキさんの二の腕の位置、本来は、私の頸動脈であったはずのそこを、躊躇なく切りつけてまで、奪わなければならなかった何かが...。
「テルちゃん、残念なお知らせがあるんだけどさ」
秋那兎さんの足が止まって、私はハッと息を飲む。彼女の額には、熱で噴き出たわけではなさそうな、まずい汗の粒が浮いていた。がくりと反対の肩が落ち、りくちゃんが浅い呼吸を繰り返していたことに気づいた時には、もう、ほとんど歩ける力は残っていないようだった。
「二人とも...どうしたの、まさかさっきの奴らに!」
「違うの、なんだか、すごく眠くて...頭がクラクラする」
秋那兎さんも、りくちゃんも、消耗が異常に激しい...いや、違う。自分だけが、不自然に平常なままなのだ。あたりを見渡し、さっきの連中が取り残したであろう、ボンベを引きずり応急処置に吸わせると、幾分か顔色が良くなったように思う。この文明都市で酸素を供給し続けてきた仕組みが、さっきの爆発で破損したのは明らかだ。
ならばなぜ、私だけ?
考えている暇はなくて、今はただこの状況が幸いであると認識するしかなかない。使えそうなボンベをかき集め、脱出に使えそうなものを探さなくてはならない。そんな中不意に、視界の端っこで、人影が動いているのを捉える。混沌とした通りで、繰り返し幸せな日常を演じ続ける機械たちの中に、一人だけ、不自然な動きをするものがいたのだ。彼は、破損して剥き出しになった鉄骨の脚を軋ませながら、明確にこちらを目指してやってくる。その腕には、動力付きのキャスターで転がされる、小型の箱舟を引いて...
目の奥の、もっともっと奥で、ずくんと深いうずきが走った。まただ。記憶が戻るときと似たような感覚が込み上げてきて、今度ははっきり、自分の声で不思議な言葉が頭に反響する。
“目を閉じて、身を委ねて”
足元には、安らかな二人の寝顔と、うなされてもなお、自分を守ってくれているつもりなのか、手を離そうとしないスズキさん。ああ、こんな時になんて、無防備なんだろう。一度はそう思って、すぐに考え直した。彼女たちは、私を仲間だと認めてくれたんだと、気がついたから。
私たちは、こんな恐ろしい目に遭うことすら、楽しんで生きていくことを選んだ。これが秘密結社の定めだっていうんなら、託されたこの絶望的なピンチこそ、醍醐味なのだろう。例え、自分が誰か分からなくても、ここは私を必要としているし、不謹慎にも、胸の奥が燃えるような高揚感を覚えている。私は、いつの間にか、すっかり奇特な珈琲屋の一員に成っていたのだと、覚悟を決めて笑ってしまった。
箱舟を引いてきた青年に深く礼をして、3人を中に詰め込んだ後、戻ろうとする彼を呼び止め、腕を取る。
「君もだよ。見ちゃったからには置いていけない。これは、私の描く幸せのエゴ。逃さないけど、箱の中か、私の隣かは選んでいい...さあ、どうする?」
程なくして、一際大きな爆発音がして、ブリキの掠れる音と共に唇を開きかけた、彼の返事をかき消した。
ーーー......
“目を閉じて、私に任せて”
月の光を浴びながら、私は目蓋を閉じて、崩壊する足下とともに海中へ落ちてゆく。そして、青白い光が揺蕩う深夜の海を、箱舟を引いた二つの影が掻き分けた。
しなやかに揺れる大きなフィンと、水を蹴る剥き出しの鉄骨...あの遊泳模様は、いつか“彼女”が見た夢だったのだろうか。砂浜に打ち上げられた明くる日の朝には、夢は誰にも見破られることなく、泡と散ってしまったのだった。
“おうい”
向こうから、ホッとする聴き慣れた呼び声が近寄ってくる。
結局、記憶は混乱したままで、声も聞こえなくなってしまった。もう、常夏の島を出る時は近い...。
「もっと夏休み、満喫したかったな」
全員が、柔らかい砂のベッドで、波打ち際に打ち上げられたのを確認して、私は再び、ゆっくりと目蓋を閉じて意識の底に落ちて行った。
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第4話、蒼に沈む珈琲屋(完)
次回、恋予報 & 第5話に続く
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