第4話「蒼に沈む珈琲屋(1)」(秋那兎)
秘密結社 路地裏珈琲
第4話「蒼に沈む珈琲屋(1)」(秋那兎)
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「す、スズキさん!いきなり血抜きなんて無理ですよ、私がやってもそんなに勢いよく出ません!」
「テル、これはもう飯に成ったんだ。むしろ美味く食って命を頂戴するために、一思いに刺せ。おい、りく!お前はいい加減に機嫌を直せ、悪かったってさっき言ったろ!」
「言っただけでしょ、全っ然意味ないもん!せっかく人魚風の水着買ったのにさ、どうせ私は金魚ですよ〜!金魚はナイフとか持てないのでー」
「まあまあまあ、りくちゃん。スズキさんあれマジで褒めたつもりでの金魚チョイスだから...帰ってからデザートサービスで手をうとう?」
お日様はあきれ顔で沈んでいった。残り火のオレンジが暖かい空の下、慣れた手つきでサバイバルナイフを巨大な魚の尾に突き刺して、スズキが鮮血を抜き流す。その横で顔を引きつらせて、おぼつかないナイフを見様見真似、ぷすりと刺すテル。無人の浜で南国の潮風に吹かれた時、異国情緒に煽られて野生の血が騒ぐタイプと、そうでないタイプが居るようだった。そして、何はさておき虫の居所が悪くて、スズキの呼びかけにもプイとして応じない、感情豊かな人間が、りく。何事も関係なく、生きるため、食うためには、ブレの無いテンションを維持する人間、秋那兎。
統一感は皆無、その上、どう見ても傭兵家業か訓練兵にしか見えないパティシエ達は、その日、釣りの帰り道に奇妙な動物と出会った。
正しくは動物、ではなく、動く物、だ。テルが波打ち際に捕捉したそれは、一見すると、中型の海亀。怪我でもしているのか、なんとなく繰り返し手をばたつかせるような動きを見せるのだが、一向にその場から進まない。砂にでも嵌まり込んだか、何がなんだか...様子がおかしいので、助けようと駆け寄ったテルが、亀の側で座り込み、耳を傾けこう言うのだ。
「モーターの音がする」
そんな馬鹿な話があるかと、そりゃあ最初は全員笑った。しかし、確かにするのだ。全員で囲み息を潜めたら、細かい歯車が、砂を噛みながらも高速で回転して奏でる。独特の羽虫が飛ぶような音が、延々とループする。全くもって、生き物から聞こえるべきものではないけれど、どれだけ耳をすましたって、モーター音意外に候補はなかった。
機械仕掛けであるなら、おそらくもう寿命が近い、不思議な海亀様の彼。砂を払ってよくよく見れば、彼の甲羅には不思議な幾何学模様が描かれていて、かすれた数列は緯度経度のように見える。飛空挺の古代図書館が擁する偉大なる蔵書と、件の学芸員3人組を以てすれば、この亀が、一体何者かなんてすぐに分かることだろう。
さっきまで、浜が名残惜しいと夕日を見送りながらぼやいていたはずのテルが、急に亀を抱え上げて飛空挺へ帰ろうと3人を急かす。動力を調べて手当てをしてやれば、もしかするとまだしばらく生きながらえるかもしれないと、彼女は足元も良く見ずに、靴の中を砂だらけにして駆けていったのだが...残念ながら、帰り着いた頃、あのお世辞にも心地が良いとは言えなかったモーター音は、ピタリと途絶え、彼はテルの腕の中で穏やかに微笑むオブジェと化していた。
生死が裏表である様に、人生には浮き沈みというものがある。どこかで波が立って水面が膨らめば、どこかの海はへこんでいる。必ず、失望の先には希望があるというのが、この世の理だ。
すっかり静かに成ってしまったボロボロの海亀を手放し、しょんぼりしていたテルの元に帰ってきたのは、ハナコに磨かれて艶を取り戻した亀のオブジェと、今にもバラけてしまいそうな古い文献だった。
マメスケが神妙な面持ちで開いて見せた、古い書物の一節を読むと、そこには、甲羅に描かれていたのとそっくりな、象形文字の様なものが記されている。身を乗り出してひったくり、机と本の山にかじりつくこと、深夜まで。白熱灯の下で目を擦りながら、背もたれを軋ませて、ぐったり天井を仰ぐテルとイチロウの手には、一枚の紙が握られていた。導き出した解読後の文章は、決して流暢に意味が通じる仕上がりのものではない。がしかし、これだけ分かればもう十分。
水の都、オーバーテクノロジー、船を恐れ、隠れて沈む。
海亀、地図、帰るべき場所“蒼“。
愛した人、尽きないカレンダー、終わらない恋。
小指、約束、指輪、海百合、蜃気楼。
文献に描かれた、はにかみ寄り添い合う、すこぶる身形の良い二人の男女の肖像画には、あの海亀も誇らしげに写っている。
「イチロウさん、私、あの亀を、あるべき場所に返さなくっちゃいけない気がするんです」
「...彼が、ラブレターだから、かな」
「ええ、きっと」
「波に阻まれ、海に還り損ねた迷子の恋心、か。お土産話は詳細によろしくね、スズキくんが過保護じゃなければ、僕が付き添いに立候補したいくらいの案件だった」
かくして珈琲屋は海の底を目指し、夏に閉じ込められたこの島で、長らく忘れ去られていた歴史の歯車が動き出す。熱帯夜のせいともつかぬ、汗ばんだ手を握りしめ、テルが静かに目を輝かせた。
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2章へ続く:https://nana-music.com/sounds/05bb3ed6
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