基本はビラ配り (姐さん完結)
秘密結社 路地裏珈琲
基本はビラ配り (姐さん完結)
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結社になってからの初仕事。
『以下コピペ』
不思議な体験をしたのだと、私は帰ってすぐ店先でサトウさんにぼやいた。
夕凪が風も人も連れ去ってしまった、ほんの短い時間の出来事だった。
「失礼、ご令嬢」
「わ、わたし?」
「小生、通りすがりの“物書き”であります。喫茶店の者と見た、少々お時間をいただきたい」
とても小柄な、古風というよりはボロ切れのような姿の男性が、私を呼び止めた。
“珈琲屋...”と、真夏にも関わらずぐるぐる巻きのストールの下で呟く彼が、目深に被ったハンチングを跳ねあげ駆け寄る。
私は瞬時に、これは書生という生き物だと察した。遥か昔に東洋の街を闊歩し、勉学を生業とした若者を指す言葉。彼はまさに書生の化石であるに違いなく、そう、古本屋で立ち読みした小説に、こんな挿絵が載っていた。随分年上であろう彼のビー玉まなこが、急に骨董のごとく希少なものに見えて背筋を伸ばしたら、彼もまた私に倣って目一杯背筋を伸ばし、丈比べ。
彼は開口、即、大袈裟に両手をしならせこう言ったのだ。
「蝉時雨が飲みたいのです、それも真夏の午後2時を彷彿とする弾丸のようなヤツ」
ポカンと空いた私の口と、まあよく動く彼の口は、ちょうどいい具合に釣り合っていたと思う。
やれ、入道雲はどんな食感だ、ソーダの青を味わったことはあるか、夜の喉越しは如何なるものか?五感の入り乱れた彼の夢は、果てしない。耳で味わって、目で聴く。そんな世界を誰が見せてくれるって、話しかけたのが私だったことを彼は喜ぶべきだった。
「小生の夢は、貴店に行けば叶うだろうか」
私は迷わずチラシを差し出した。
「......かなったかどうかは、自分で確かめてもらうことになるけれど、お役に立てる人間が居ないこともないわ」
ご用命は、このキャップのロゴが示すお店まで。
つばを引き下げて、日差しから隠されたのは、たった2秒...
次に視界が開けたら、もう彼はそこには居なくて、ただただ騒ついた残暑の音の中に、私が一人で取り残されていた。“賑やかな蜃気楼だった”と思わず笑った私の脳裏で、何故だか彼が、嬉しそうに笑ったような気がした。多分近いうちに、会うことになるんじゃないだろうか。蝉時雨が終わってしまう前に、きっとまた。
サトウさんの含みのある笑顔が、そう言っているから。
「そりゃあまた、忍者みたいなヤツだな。今時珍しい“詩人”に会ったもんだね」
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“君、ずるいじゃないか。行きつけだというならば連れて行ってくれたまえよ”
芝居掛かったのっぽの影と、小さな影は路地裏へ。
新しいお客が、来店する予感......。
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