竹田の子守唄
被差別部落絡みの楽曲と知った日本の放送局は慌てて自主規制[18][19]、人気だった赤い鳥へ歌唱曲の中から外して欲しいと理由を告げずに放送局から複数回要請され[20]、いわゆる「放送禁止歌」として長い間聴く機会が減少する
竹田の子守唄
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被差別部落絡みの楽曲と知った日本の放送局は慌てて自主規制[18][19]、人気だった赤い鳥へ歌唱曲の中から外して欲しいと理由を告げずに放送局から複数回要請され[20]、いわゆる「放送禁止歌」として長い間聴く機会が減少する
竹田の子守唄(たけだのこもりうた)とは、京都府の被差別部落に伝えられた民謡、およびそれを基にしたポピュラー音楽の歌曲である。日本のフォーク、ロック歌手たちによって数多く演奏されている。
概要 編集
この曲は複数の被差別部落に伝わる子供の労働歌であり、題名に「子守唄」とあるが正しくは「守り子唄」であり、子供を寝かしつけるのではなく部落出身の学校へ通ったり遊んだりする余裕のない10歳前後の少女の心情が唄われている[1]。明治時代中期の発祥とされるが題名にある竹田地区の住民が実際に唄っていたのは昭和初期に10代だった世代までである[2]。
唄が広まる経緯 編集
1965年1月、東京芸術座が公演した労演主催の舞台作品、住井すゑ原作の『橋のない川』で尾上和彦が多泉和人(おおいずみかずと)のペンネームで音楽を手掛けることになり[3]、被差別部落の一つである京都市伏見区竹田地区の部落解放同盟の合唱団「はだしの子」メンバーの1人の母から情緒たっぷりどころかカラっと明るく唄って教えてもらった民謡を編曲して使ったもので[4]、それが合唱団のレパートリーとなり、フォーク歌手達にも広まりその1人が後の赤い鳥の後藤悦治郎であった[5]。尾上が採集したのがたまたま竹田地区であったので、「竹田の子守唄」とされたがそれ以前は題名が付いていなかった[6]。きちんとした楽譜もなく一番と二番でテンポも違った唄は、子守り奉公で苦悩にある中に強く暖かい人間性を内在させていて、赤いサラファンに共通する部分も感じられ、聞かせてもらった女性の唄を尾上が解体してつくったのが今日に知られる旋律である[7]。唄の後半にロンドンデリーの歌のような非常に豊かな音の広がりも加えた四分の二拍子で書き上げたが、発表後に複数の関西の研究者がこの唄は自分で採譜したと主張したが、唄を聞かせた女性はその後人前で披露することはなく彼女の唄は発表されたものよりテンポが速い十六分音符でなければならないと尾上は否定している[8]。
唄を取り巻く状況 編集
他のフォーク歌手が唄うのを聴き、赤い鳥も唄うようになった。フォークシンガーたちに広まる前に歌唱していた合唱団「麦」では唄が被差別部落のものであると紹介していたがフォーク界に広まるにつれて「竹田」の正しい読み方や唄の出所はわからなくなっていた[11]。赤い鳥側も暫く、この唄の由来や意味も理解しておらず、題名の竹田も大分県竹田市のことだと思っていた[12]。本作の替え歌である赤い鳥のメジャーデビュー曲『人生』をJASRACに登録する際には作者不詳で申請するように言われるも、既に他の人も歌っているのに無視することはできず作者がいるはずと後藤の高校のクラスメイトの橋本正樹と起源に迫ることにした[13]。赤い鳥が本作を唄うたびに「竹田」とはどこか尋ねられても濁していたこともあり、1971年4月から発祥を捜し始め、歌詞に雪があるため大分県竹田市ではなく「よう泣く」と度々を意味する「よう」があるのは関西ではないかと伏見か氷上郡市島町の竹田かもしれないと見当をつけた[14]。捜し続けて2か月経過、ある女性から歌詞の「在所」は京都では未開放部落を指すと教えられ、橋本は「大きな楔を打ち込まれたように言動が止まった」と感じ、それから1970年出版の『京都の民謡』(音楽之友社)に本作が京都市伏見区竹田の唄だと明記されていることを知り、確信した[15]。
橋本が捜し当てた事実を知らされた後藤は今まで知らなかった「久世の大根めし 吉祥(きっちょ)の菜めし またも竹田のもんば飯」の歌詞を入れて唄うことを決意、最初に歌唱したのは1971年9月の毎日放送の深夜番組だった[16]。1971年12月発売のアルバム『スタジオ・ライブ』で「久世の大根めし…」の歌詞を入れた本作を赤い鳥としては初めて収録した[17]。
1971年2月5日にシングル・カット、A面に本作、B面に『翼をください』を収録して3年間でミリオンセラーとするが、被差別部落絡みの楽曲と知った日本の放送局は慌てて自主規制[18][19]、人気だった赤い鳥へ歌唱曲の中から外して欲しいと理由を告げずに放送局から複数回要請され[20]、いわゆる「放送禁止歌」として長い間聴く機会が減少する。
広く唄われているもの 編集
守りもいやがる 盆から先にゃ
雪もちらつくし 子も泣くし
盆がきたとて なにうれしかろ
帷子(かたびら)はなし 帯はなし
この子よう泣く 守りをばいじる
守りも一日 やせるやら
はよもいきたや この在所(ざいしょ)越えて
むこうに見えるは 親のうち
1番
子守も自分が子供の頃は、楽しいお盆休みがあったけど、それも無い。
お盆が過ぎると秋が深まり、雪がちらつき寒くなって、子供が泣きます。
2番
子供の頃楽しかったお盆休みが来ても、何もうれしくは無い。
きれいに着飾る服も無い。
3番
この子はよく泣いて、子守の私を苛めます。
奉公先の親から叱られないかと心配で、やせる思いです。
4番
早く奉公の期間が終えて、奉公しているこの場所から、親の住む家に帰りたい。
向こうに見えてるのは親の家なのに、こんなに近くても奉公だから帰れない。
元唄 編集
出典は森達也『放送禁止歌』光文社知恵の森文庫、2003年 198-199頁
この子よう泣く守りをばいじる
守りも一日やせるやら
どしたいこりゃ きこえたか
ねんねしてくれ 背中の上で
守りも楽なし子も楽な
どうしたいこりゃ きこえたか
ねんねしてくれ おやすみなされ
親の御飯がすむまでは
どうしたいこりゃ きこえたか
ないてくれよな 背中の上で
守りがどんなと思われる
どうしたいこりゃ きこえたか
この子ようなく守りしょというたか
泣かぬ子でさえ 守りやいやや
どうしたいこりゃ きこえたか
寺の坊さん 根性が悪い
守り子いなして 門しめる
どうしたいこりゃ きこえたか
守りが憎いとて 破れ傘きせて
かわいがる子に 雨やかかる
どうしたいこりゃ きこえたか
来いよ来いよと こま物売りに
来たら見もする 買いもする
どうしたいこりゃ きこえたか
久世の大根めし 吉祥(きっちょ)の菜めし
またも竹田のもんば飯
どうしたいこりゃ きこえたか
足が冷たい 足袋買うておくれ
お父さん帰ったら買うてはかす
どうしたいこりゃ きこえたか
カラス鳴く声 わしゃ 気にかかる
お父さん病気で寝てござる
どうしたいこりゃ きこえたか
盆が来かて 正月が来たて
難儀な親もちゃうれしない
どうしたいこりゃ きこえたか
見ても見飽きぬ お月とお日と
立てた鏡とわが親と
どうしたいこりゃ きこえたか
早よもいにたい あの在所こえて
向こうに見えるは 親のうち
どしたいこりゃ きこえたか
Comment
3commnets
- こうじ
- ドゥ🏴☠16分音符って事だから 後半ストロークのテンポになるかな?ちょっと合わせてないけど テンポアップで鳴らす( *˙ω˙*)و グッ!🎸ウクレレハミング
- ドゥ🏴☠いいねぇヾ(*´∀`*)ノ お借りしました🎸ウクレレハミング