今日は尾崎豊の命日です。
I love you
今だけは悲しい歌 聞きたくないよ
I love you
逃れ逃れたどり着いたこの部屋
何もかも許された恋じゃないから
二人はまるで捨て猫みたい
この部屋は落ち葉に埋もれた空き箱みたい
だからお前は子猫のような泣き声で
きしむベットの上で優しさを持ち寄り
きつく躰抱きしめ合えば
それからまた二人は目を閉じるよ
悲しい歌に愛がしらけてしまわぬように
#尾崎豊 #ピアノ
1983年12月、シングル「15の夜」とアルバム『十七歳の地図』で高校在学中にデビュー
ライブでの熱烈で破壊的なパフォーマンスや、夢や愛、生きる意味をストレートに表現した赤裸々な歌詞など、社会や学校の中で感じる葛藤や心の叫びを表現した楽曲の数々が1980年代から1990年代初頭にかけての若者を中心に多くの人から共感を呼ぶ。その作品と活動、精神性は、日本の音楽シーンに多大なる影響を与え、作品に迸るメッセージは死去から25年以上経過した現在でも多くのファンやミュージシャンに支持されている
1992年、あまりにも若すぎる26歳での突然の死は、社会的にも大きな衝撃を与えた。死後25年を過ぎてもなお尾崎を慕うものは絶えず、新たなファンを生んでおり、彼が遺した曲の数々は多くのアーティストにカバーされ続けている
《26歳での突然死 》
1992年(平成4年)4月25日(土)早朝、当時の尾崎の自宅であるマンションから約500メートル離れた、足立区千住河原町の民家の軒先に全裸で傷だらけで倒れていたところを住人に発見された。5時45分ごろ、通報で墨田区内の白鬚橋病院に運び込まれる。診察した医師は「生命に関わることも考えられるので、専門医に診てもらった方がいい」と診断したが、尾崎は妻と兄とともに自宅マンションに戻る。しかし、10時ごろになって容体が急変、呼吸が止まっているのに気がついた家族が約1時間後の11時9分に119番通報。搬送先白髭橋病院で初期治療を受けるが家族により退院をする。その後急変して日本医科大学付属病院で手当てを受けるも、午後0時6分に死亡した。死因は覚醒剤中毒 (メタンフェタミン中毒)による肺水腫(詳細は後述)。
後日、雨の降る中4月30日(木)東京都文京区の護国寺にて葬儀・追悼式が行われ、参列者は4万人近くに上り、規模は美空ひばり、吉田茂に匹敵するものとなった
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