故郷の人々 ハーモニカ
フォスター
故郷の人々 ハーモニカ
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「故郷の人々」(Old Folks at Home) が、スティーブン・フォスターが1851年に制作したミントレルソング。別名「スワニー河」(Swanee River)。フロリダ州の公式州歌でもある。
「故郷の人々」
Oldfolksathome.jpg
1851年版
楽曲
英語名
Old Folks at Homes
1851年
作曲者
スティーブン・フォスター
作詞者
スティーブン・フォスター
この歌は、ニューヨークのブラックフェイス(黒人扮装)一座であるクリスティーズ・ミンストレルズが演奏するためにかかれた歌であり、初期に出版された楽譜にはその作者に一座のリーダであるE・P・クリスティがクレジットされている。これは、フォスターの提案により、クリスティがわずか15ドルを支払って著作権を得たためだが、この歌は空前の大ヒットとなっている[1]。
"Old Folks at Home"
フォスターはほとんどの歌詞を書いていたが、最初の旋律に川の名前を入れようと思って兄に相談した。兄から最初に提案されたのは、ヤズー(ミシシッピ州)だった。メロディーにはあっていたが、フォスターは拒絶した。次に提案されたのは、ピーディー(サウスカロライナ州)だった。フォスターは言った「ああ畜生! それじゃないんだ」。兄は地図帳をみて大声で「スワニー!」と叫んだ。フォスターは「それだ!」と答え、歌詞に書き込んだ。その際、スワニー川のスペルは "Suwanee" が正しいが、メロディーにあわせるため"Swanee" と綴った[2]。
フォスター自身はスワニー川どころかフロリダへ訪れたことすらなかったが、歌の人気のためフロリダでは川をみるための観光が行われている。また、この歌は1935年にフロリダ州の公式州歌となり、2008年には一部の不適切な歌詞が改められた[3]。
アントニン・ドヴォルザークが1890年代にかいた『ユーモレスク』第7曲と音楽的に類似しているため、よく一緒に演奏されることがある。アメリカ議会図書館のジュークボックスでは、ソプラノ歌手アルマ・グルックとヴァイオリニストのエフレム・ジンバリストのバージョンが流れる
日本では、明治時代に文学者の大和田建樹がこの曲にマッチ売りの少女の物語を歌詞に取り入れ、「哀れの少女」という邦題をつけた[15]。この歌は1888年の『明治唱歌第2集』に掲載された[1]。その後も「造化のわざ」(作詞者不明、1896年)、「北国の雪」(大和田建樹、1905年)、「優しき心」(作詞者不明、1932年)という邦題で唱歌集に掲載された[1]。金田一春彦による研究だと、1926年からの5年間に日本放送協会が毎日放送していた子供番組での放送回数ランキングで「哀れの少女」は38位にランクされている[1]。その他、1937年に出版された『フォスター歌曲集』においては津川主一訳で「スワニー河の歌」という邦題で掲載されている[16]。
1949年には、勝承夫訳詞のもと「はるかなるスワニー河、その下(しも)」に始まる歌詞で「故郷の人々」という題で発表されている[17]。「故郷の人々」は小学校の音楽教科書に掲載されていた[18]。また、緒園凉子訳詞の「スワニー河」もよく知られている。
また、近畿日本鉄道の特急電車では大和八木駅停車直前の車内チャイムとして使われている
作詞・作曲:S.C.フォスター、日本語詞:勝承夫
1 遥かなるスワニー川 その下(しも)
なつかしの彼方よ わがふるさと
旅空のあこがれ はてなく
思い出ずふるさと
父母(ちちはは)います
長き年月(としつき) 旅にあれば
おお つかれしわが胸
父母(ふぼ)をしたうよ
2 あぜ道さすらいし 思い出
はらからと遊びし 楽しき日
夢あまき歌声 むなしや
おお 行きて暮らさまし
母のもとに
長き年月 旅にあれば
おお つかれしわが胸
父母(ふぼ)をしたうよ
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