五木の子守唄
民謡 古関裕而
五木の子守唄
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nana友様が歌っていたのを聞きまして
思い出し 歌いました。
今日も聞いてくださってありがとうございました
歌詞を調べたら
なんとも悲しい内容で。
*Wikipediaより参照*
日本の民謡や童歌などで、「子守唄」とされる歌には、本来の子守唄(子供を寝かしつけるための歌)と、守り子唄(もりこうた)と呼ばれる唄とがあるといわれており、五木の子守唄は、守り子唄のひとつである。
守り子唄とは、子守をする少女が、自分の不幸な境遇などを歌詞に織り込んで子供に唄って聴かせ、自らを慰めるために歌った歌である。かつて子守の少女たちは、家が貧しいために、「口減らし」のために、預けられることが多かったという。
歌詞には「おどま勧進勧進」という言葉が出てくる。
「おどま かんじん かんじん あん人たちゃ よかしゅ よかしゃ よかおび よかきもん」
ここに出てくる「かんじん」とは、「三十三人衆」と呼ばれる地主層に対しての「勧進」(小作人)という意味で、ここでは「物乞い」「乞食」という意味で用いられている。歌の意味は「私は乞食のようなものだ。(それにくらべて)あの人たちは良か衆(お金持ち、旦那衆)で、良い帯を締めて立派な着物を着ている」となる。
伝承によれば、治承・寿永の乱(源平合戦)に敗れた平氏一族が五家荘(八代市)に定着したので、鎌倉幕府は梶原氏や土肥氏など東国の武士を送って隣の五木村に住まわせ、平氏の動向を監視させたという。その後、これら武士の子孫を中心として「三十三人衆」と呼ばれる地主層が形成され、「かんじん」と呼ばれた小作人(名子小作)たちは田畑はもちろん、家屋敷から農具に至るまで旦那衆から借り受けて生計を立てなくてはならなかった。娘たちも10歳になると、地主の家や他村へ子守奉公に出された。五木の子守唄はこの悲哀を歌ったものである
うちの祖母も
幼い頃に 奉公に出た人で
わたしは 子供の頃 毎日のように"奉公に出すぞ"と脅されてました。
演奏は ndiさん
素敵な伴奏をありがとうございました。
((歌詞))
おどま盆ぎり 盆ぎり
盆から先ゃ おらんど
盆が早よ来りゃ 早よもどる
おどまかんじん かんじん
あん人達ゃ よか衆(しゅう)
よかしゃよか帯(おび) よか着物(きもん)
おどんが打死(うっちん)だちゅて
誰(だい)が泣(にゃ)てくりゅきゃ
裏の松山 蝉(せみ)が鳴く
蝉じゃ ごんせぬ
妹(いもと)でござる
妹泣くなよ 気にかかる
おどんが打死(うっちん)だば
道端(みちばた)いけろ
通る人ごち 花あぎゅう
花はなんの花
つんつん椿
水は天から 貰い水
#子守唄
#民謡
#五木の子守唄
Comment
6commnets
- なにがしらあろん
- なにがしらあろん熊本ですか ゚+。:.゚おぉ(*゚O゚ *)ぉぉ゚.:。+゚ ありがとうございます(๑•ω•๑)♡
- G@1965 今まで本当に有難う御座いました🙇♂️あろんさん、おはよう御座います✨ キャプ拝見しました 童謡や子守唄には何かしらの謂れがあるみたいですね 素敵な子守唄聴かせて貰いました✨
- なにがしらあろん
- cあろんさん 素敵です🥺😌 泣けます😌 とても胸に残る歌声( ˇᴗˇ)🌸ありがとうございます。
- なにがしらあろん幼い子が背負うには ほんとに厳しい現実だったと 思い出されました ジョニーさん ありがとうございます