【8月6日という日に】アジアの風 青空 祈り part-2 青空 弾き語り
浜田省吾
【8月6日という日に】アジアの風 青空 祈り part-2 青空 弾き語り
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【人の心の愛を信じたい】
日本に原子爆弾が投下されてから74年が経ちます。
第二次大戦以降、日本国内での戦禍はありませんが、世界の至る所で殺し合いは繰り返されます。
「八月という月は、日本人にとって特別な月だと、そんなふうに思います。人の生とか死とか、戦争とか平和とかそういった事を考える、そんな季節だと思います」
省吾兄さんは、そう言ったことがあります。
この曲のことではないですが「八月の歌」についてはこんな意味のことも。
「原爆記念日が来る度に広島が騒がしくなり、人々は被害者の立場から戦争を語る。果たしてそれでいいのか?」
歌詞には、
「八月になるたびに広島の名のもとに平和を唱えるこの国、アジアに何を償ってきた?」
とあります。
広島出身で、ご自身の父親も被曝(原爆投下直後に警察官として救援に向かって被曝)されたという境遇の兄さんが発すると、その発言にはとても深い意味を感じます。
昭和20年。
僕の父方の祖父は戦地から戻りました。
僕が生まれる前に他界したので僕は会ったことがないのですが。
祖父は帰宅して祖母に再会するや、挙手の敬礼と共に、
「◯◯二等兵、只今帰還しました」
と言ったそうです。
この話はいつだったか…多分僕が小学生の頃に父が僕に話しました。
父からそれを聞いたとき、その言い方がとてもカッコいいとだけ思いましたが、今は、兵卒の言い回しなんて早く捨てればいい、と思います。
とにかく、じいちゃん生きて戻ってくれて今僕がここにいることの有難さを感じます。
祖父に当たらなかった代わりに銃弾に倒れた多くの犠牲のもとに今の僕の命があり、多くの犠牲のもとにこの国が直接の国家間の戦闘行為をせずにいるという意味での平和が成り立っています。
実際のところ日本は戦争賠償・戦後補償を何もしてこなかったのかと言うと、そうではなく、ある部分では他の戦争賠償・戦後補償と比較して破格とも言える規模の行為をしています。
しかし、浜田省吾映像作品に寄せた池上彰さんの解説に、
『日本は戦後賠償の務めは果たしてきた。しかし、アジアの人々の信頼を勝ち取ることができたのだろうか』
とありまして、本質はそこではなかろうかと思います。
歌詞✩࿐⋆*
まるで二人 ロミオとジュリエットみたい
憎しみの壁 偏見の海に阻まれ
逢えない 逢いたいのに
透き通る真夏の青空を
切り裂いた白い光 黒い雨
あれはいつ?
氷雨降る早春の午後
押し寄せる高波に砕けた未来
あまりに多く血が流された
とてつもない悲しみが襲った
あまりに尊い犠牲払った
充分過ぎるくらい学んだ…違うか?
銀色の林檎が枝から落ちて 少年の手の中
静かに少女と分け合い 未知の世界へと旅立つ
自ら「指導者」と名乗る驕れる者達
思想 教義 大儀 無理強いする奴等
遥か地平目指す彼 空高く舞う彼女
二人に構うな!
あまりに多く血が流された
とてつもない悲しみが襲った
あまりに尊い犠牲払った
充分過ぎるくらい学んだ…違うか?
#アキ浜田省吾弾き語り
#アキアジアの風
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