序章: ヘンリー ビスケット卿
petits fours 製菓学校
序章: ヘンリー ビスケット卿
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「本校では、製菓技術と魔法を学ぶと言ったのを君は覚えているだろう。道具はどうした。魔法を媒介するためには道具が必要だというのに、教務の連中がそんなことも通知しなかったのか。よろしい、下手に分からないまま選ぶより好都合だ、小生が選んで差し上げよう。
........さ、歌いたまえ。話はその後だ。」
テンションが低いのか高いのか、不機嫌そうな面構えの中年教師は、部屋の中でコントラバスでも鳴っているかのようなバリトンでとうとうと喋り切った。
そして、定位置である皮張りの椅子に深く収まる。
彼のガウンからは、焼きたてのスポンジケーキ特有の卵とミルクで演出された小麦の香りが漂ってくる。スーツからさりげなく見える真っ白なポケットチーフからは、甘いバニラの香り。もしかすると、ツヤの無い髪は、ダークココアでコーティングされているのかもしれない。
「何をぽかんと立っているんだ。何も考えなくていい、自由に歌いたまえ、こうだ」
作りかけのケーキが乗った調理台上に手を伸ばし、彼はおもむろに銀色の泡立て器を手にする。
ゆっくりと目を閉じ、空気をぐるぐると巻き取って、ふわりと宙で何かを練る...ふと、声がした。
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女性の歌声だ。
指揮棒の代わりに泡立て器が舞うたび、声がふわりと空気を含み、歌声になって、洋酒を含んだチョコレートの香りに変わる。
「音色を練り、層を重ねて、整える...歌も菓子も、やり方は同じだ」
音が止んだころには、調理台の上にチョコレートクリームがたっぷり添えられた、シフォンケーキがちょこんと座っていた。
「心を込めて大事にすると決めた道具は、いわば君の相棒。声を得て、共に愛を紡ぎ、調理の道を歩む...そう、伴侶である。道具は、慎重に選ばなければならない」
彼...いや、あなたの先生。
ヘンリー ビスケット卿は、ひと通り噛み締めるように言い終えた後、照れくさそうに、また一層不機嫌そうに、咳払いをしてあなたを睨んだ。
「......わかったら歌いたまえ」
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※企画内で一緒に上達のお手伝いをさせていただく運営の音源になります。音源をお聞きになった上で物足りなく感じた場合、当方では上達のお手伝いに力不足かと思いますので、ご辞退いただいて構いません。
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