1201④
syozopanda
1201④
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12/1(金)
寝坊。
枕元に置いてあるケータイには着信が鬼のように残っていた。
店長、店長、店長、店長…
ディスプレイに表示されている時刻は11時23分。出勤しなければならない時刻から2時間以上オーバーしている。
まだ完全に覚醒しきれていない頭をむりやり働かせ、鈍く「チッ」と舌打ちをして起き上がる。
寝ていたのは座面が固く座り心地のあまり良くないソファの上だった。
テーブルに置いてある煙草に火をつける。フィルターから通ってくる煙が喉を燻す。睡眠中きっと口を開けて寝ていたのだろう、チクッとする痛みが喉に走った。
紫煙が天井へ立ち上ってゆく。それが吐いた白い息と混ざって、やがて消えていく。
煙草の煙を見るたびに、こんな煙になれたらな、といつも思う。
ゆらゆらと空気に漂って、流されるままに流されて、そして消えることが出来たら。
昨日、美紀に別れを切り出された。
もうすぐで付き合って2年になる彼女だった。
数週間前からメールでのやりとりがぎこちないものになっていた。会おうと言ってもやんわりと断られ、やがてメールの返信も一日に一往復するくらいのもになってしまった。
それが突然昨日の朝、「今日空いてる?」と連絡が来た。もちろん、と返すと「正午に駅前のビッグエコーに来て」と来、それについていくつかの質問を投げかけたが、もう彼女からの返信は無かった。
駅前のビッグエコーは、ふたりでよく通ったカラオケ店である。
たまに飲みに出かけたりすると、酔った勢いでカラオケになだれ込むことがよくあったのだ。お互い、歌を歌うのが好きだった。
店舗前に美紀を見つけ、よう、と声をかけた。美紀はうん、とだけ返事をし店内へと促される。
ふたり、フリータイム、喫煙室…
美紀は店員の問いかけに単語だけで返事をして部屋を決める。部屋は5階建ての3階にある314号室だった。
2メートル四方くらいの狭さの部屋で、ドアを開けた途端喫煙室独特のヤニ臭い匂いが鼻をかすめた。
美紀はリモコンやマイクが入った小さなカゴをテーブルに起き、ソファにすとん、と座った。そして未だ部屋の入口でぼうっとしている僕を見上げる。その目は「あなたも座って」と訴えかけている。
朝に「今日空いてる?」というメールが届いた時点である程度の察しはついていた。
僕は今日、彼女から別れを切り出されるだろう、と。
案の定、僕が促されるまま対面のソファに座るやいなや「私達、もう終わりにしましょう」と切り出された。
その言葉と発音のニュアンスから、もうどうしようもないのだなと悟った。美紀は僕との関係を終わらせたくて仕方がない様子だった。
かろうじて「わかった」とだけ返し、部屋を出る。
そこから、どうやって家に帰ってきたのかは覚えていない。
気付けば酷く酩酊して自宅のソファに突っ伏していた。辺りには空き缶や空き瓶が視界に見えるだけでも十数本転がっているのが分かる。
テーブルの上の電波時計には「2:43」という数字が表示されている。2時…。これは、昼の?深夜の…?
分からないまま再び意識を失うように寝て、冒頭に戻る。
彼女から別れを切り出され、やけ酒を煽って寝坊をし、仕事場の店長から入る着信履歴に辟易とする…。
我ながらクソだな、苦笑する。でもとにかく今は何も考えたくない。今日の事も、これからの事も。何も。
職場(ファミリーレストランである)の後輩、後田からメールが来たのが昼の3時過ぎ。それまでに店長からの着信が8回あった。
『寝坊ですか?w店長ガチギレっすよww先輩やばwww』
それから30分して
『え、いやほんと大丈夫ですか?wこっち終わったら家行きましょうかー?』と届く。
また15分して
『さすがに寝すぎですよね…?店長今度はめっちゃ心配しだしましたよww先輩〜!?』
空が茜色に染まり出し、やがて黒色に塗りつぶされていく。それを部屋の窓からずっと見ていた。
その間、何故か涙が止まらなかった。その涙に理由を与えるのは困難だった。美紀に振られたからではないと言いたい所だが、実際、それが大きな原因なのだろう。
悲しく、切ない気分になるといつももう一人の自分が「悲劇の主人公気取ってんじゃねぇよ」と言ってくる。
その通り。今の自分なんて所詮ただ失恋しただけの男だ。世界中にはもっと辛い思いを四六時中している人がいる。いや世界と言わずとも、この街にだって、きっと。
でも、それでも、どうしようもなく涙が出る日がある。
辛くて辛くて仕方ない時が。
もうこんな思いをしなくていいから死んだ方が楽じゃないかと思う時が。
何をしても楽しさなんてなく、ただただ絶望に包まれてしまう時が。
どうしたらこの気分は晴れるのだろうと繰り返し繰り返し思ったり、
誰にも知られないまま、日常の片隅に消えていく仕事を嬉々として繰り返していたり、
既に終わってしまっているような状況を甘んじて受け入れてしまっていたり。
これは、この人生は、やはり自分の物語なのである。
いくつもの選択肢と可能性を毎秒レベルで選び、捨て、進んでゆく。
それが正しかったのか、間違っていたのかなんてのはいつまでも不明なまま、時は流れてしまう。
勝手に「正解だった」「間違いだった」と決めつけているだけなのだ。
きっとそれぞれにそれぞれの日常があって、毎日を終えてゆく。
昨日に後悔しながら、明日に期待しながら、そして今日に絶望しながら。
それでも、寝て起きると既に新しい一日が始まっていて、世界はまるで決められているかのようにその一日を進めている。
乗り遅れないよう、取り残されないよう、必死で掴む日常を、我々は怖くて手放せないのだ。
夜の8時を過ぎた頃、後田から着信があった。出てすぐに「大丈夫、ただの寝坊だよ」と伝えたのだけど、既にウチの近所まで来ていたそうで(前に職場の仲間数人を集めウチで家飲みをしたことがあったので場所は知っている)、寄って帰ると聞かない。
すぐに到着した後田は「さむい〜〜」と言いながらブーツを脱ぎ、「どや!」とコンビニの袋を突き出す。
中には栄養ドリンクや消化の良い食物、デザートなどがビッシリと入っていた。
「ほんとに、心配したんですからね?てか、ほんとにただの寝坊ですか?」
「お前メールにめっちゃ草生やしてたじゃねーか、楽しんでただろ絶対」
「そんなことないですよ!ほら、食べてください!…てか、お酒飲み過ぎ!!こんなに飲んだんですか!もう!」
痛む頭に後田の声がよく響いた。いつもなら煩わしいその声が、今日は妙に心地よかった。
あれこれと1人で考えている脳内に、他人の考えが、声が入ってくるのも、悪くないかもしれない。
そう思うと、考えるよりも先に身体が動いた。
部屋に散らかる空き缶を拾う後田を背後から抱きしめる。「わ!」と大きな声を出した後田はしばらくワーキャー言っていたが、僕が泣いている事に気付いたら、スっと静かになった。しばらくして、
「絶対…寝坊じゃないと思ったんですよ…先輩、そういう事しないですし…」
そう言って、自分の肩に回る僕の手を握りしめた。彼女の手は冷たかった。
どこの誰かも知らない人の、今その日常が酷く苦しくて息がうまく出来ないようなものだったとしても、いつかそれが緩んで解けますように。そんな「今日」がいつか訪れますように。
そんなこと、どこの誰かも知らない僕が思うのもおかしいけれど。
「泊まります!!」という後田を説得して帰し、また煙草に火をつける。
その紫煙は部屋のライトに照らされて、妙に綺麗な模様に見えた。
未だ胸は痛む。ズキズキと。
でもその痛みは、間違いなく今日を生きている証なのだ。
ねぇ君は今日、どんな1日だった?
(完)
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おわりじゃ。
でも、もうちょっとだけ続くんじゃ。(音楽的に)
おまけ↓
https://nana-music.com/sounds/033b3848/
Comment
5commnets
- syozopandaきゃああ、お涙頂きました…!そこまで伝わってくれて、ほんとに嬉しい。。 どれも自分の中にある部分で…!居心地いいとか、やばい嬉しいです…。いつもありがとうございます…😭🌈✨
- syozopanda
- syozopanda
- みゃりもえーーーーもうすぐ終わっちゃうのー?! このシリーズ好きーー!!!
- HIKARUキャプションの物語凄く良いです! 現代に生きる私の胸にチクリチクリと刺さり、メロディーとともに物語がグッと来ました。 syozoさんの短編小説が世に出ればいいのに…