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3commnets
  • ロボと呼ばれたかった男's user icon
    > ともみつ ゆうき

    神と悪魔は多分どーいつだな! (゚∀゚ )三 三( ゚∀゚)

  • ともみつ ゆうき's user icon
    なるほど、それで知恵を与えたのはヘビ(悪魔)になってるわけか… (@´)З`)))🍎モグモグ
  • ロボと呼ばれたかった男's user icon
    おーーーっとあきニィ! (゚∀゚ )三 三( ゚∀゚) ここでロボの哲学スイッチを押して、ブログ側のロボを召喚するのか!? ( ゚∀゚)σ⚪︎ ぽちっ。 いつもと文体変わるし、かなり長文になるから覚悟しろ! ニヤリ_φ(≖ω≖。)♪ ━━━ここからロボ哲学━━━━ まず、結論から先に言おう。 『この世から争いは無くならない』 なぜなら人間に限らず、地球上に存在する『生きとし生けるもの』の全ては、他の命を犠牲にしなければ生きることが出来ないからだ。 生きる事は『奪う事』であり、奪う命がどんなものであれ、それは生存を賭けた戦いなのだ。 どんな生物でも、自身の中にある『生存本能』により生きる為の戦いを続け、負けた者は勝者の命を繋ぐ存在として消え去っていく。 それが自然界の掟であり、真理と言っていいものだろう。 人間も、その自然の摂理に逆らう事は出来ないのだ。 だが残念ながら人間という存在には『本能』を否定しながら、その本能よりも『残酷』な行為を行いながら、それを正当化させる為の『知恵』というものが与えられた。 もしも神という存在がいて、人間に知恵を与えたのであれば、神となんとも残虐な贈り物を人間に与えたのであろうか。 知恵という余計なものを与えられたせいで、人間は生きる為に必要なもの以上を欲しがる『欲望』と言われるものが生まれ、不必要な争いまで行うようになった。 それだけならまだしも、そんな『残忍』な人間の欲望を誰もが持っていながら、それを隠し、あたかも人間はどんな生物よりも『崇高』な存在であるかの如く、本能すら『否定』する様な『綺麗事』を語る様になり、その綺麗事がさらに人間の愚かさを明るみに出す結果となっている。 考えてみるがいい。 例えば年間何十万『頭』のペットが飼い主の勝手で殺されていると騒いでいる愚かな人間達がいるが、そんな愚かな人間達が生きる為に食す『家畜』という動物は、どれ程人間の勝手で屠殺されているのか。 家畜の消費数を調べると、その数は『頭』ではなく『t(トン)』という『重さ』で表記されている。 ペットも家畜も、同じ動物であり、同じ命でありながら、人間の作り上げた勝手な価値観で、家畜はペットよりも命が軽く扱われているのだ。 鳥インフルエンザや、狂牛病が蔓延した時、一体どれ程の家畜の命が奪われたのだろうか。 しかし人間の誰もが、それを残酷だと否定する事なく、人間に害を及ぼす病気を持った家畜達の駆逐を望んでいた。 人間とは、そんな横柄で、傲岸不遜でありながら、しかし人間が勝手に決めた『ルール』の中で『貴重』と決めつけた事を守る為に、声を大にしている人達は尊い存在とされる。 しかしロボは思う。 人間ほど、下衆で馬鹿でこの世に必要ない生き物はいないであろうと。 人間とは、いわばこの世の『癌細胞』だとロボは考える。 『戦争』という行為は、確かに愚かな行為なのであろう。 しかし生物が生き残る為に持って生まれた本能に基づき、生き残る為に戦うのは自然な行為と言えるのではないだろうか。 ただ人間は欲望が大きすぎる故に、必要以上のものを力づくで手に入れ、しかし、そんな欲望による略奪に対し、正義だの悪だのと勝手に決め付けて、自分を正当化しようとするから、この世の他の生物よりも1番醜く、愚かしい。 大体、正義の定義とは何なのであろうか? 逆に、悪の定義とは何なのであろうか? ここで、もしも『善悪の定義』を唱えるものがいたとしたら、それは人間が勝手に決めた価値観や世界観で作り上げたものであり、決してこの世の真理ではない。 人間が作り上げた勝手な価値観や世界観だからこそ、個々にその主張が食い違い、宗教戦争も起こるのだ。 もしもこの世に平和が訪れるとしたら、その方法は2つしかないのではないだろうか。 1つは『人間が欲望を捨て、身の丈にあった、自然界から与えられた真理の弱肉強食の世界で生きる事』 そしてもう1つは『人間がこの世から滅亡する事』なのではないだろうかとロボは思う。 人間達よ。 自分達で殺し合う『戦争』を非難するよりも、普段自分達が行っている『他の命を罪の意識なく奪っている事』の重要さを認識するべきだ。 この世で人間だけが偉いのではなく、人間がこの世の頂点の存在ではない事を知るべきだ。 この世でどれだけ多くの戦争が起きようと、普段人間達が気にも止めないで殺している命の方が間違いなく多いのだ。 そんな人間達に殺された多種の悲劇に比べたら、人間が人間を殺した事実は単なる自分達の引き起こした『自業自得』の歴史に他ならない。 『戦争』も『平和』も人間達の価値観や世界観だけで語られているもの。 そんな観点からみると、どんな不幸な状況下でも『平和』は存在し、どんなに平和ボケした世界の中でも『戦争(争い)』は存在する。 それを逆の観点からみれば『戦争』も『平和』も、自然の摂理の中では存在しないのだ。 最後に、ロボのブログの『ロボ哲学』では、必ず語られる言葉を書いておこう。 これはロボだけの世界観であり、他を否定するものでも、自を押し付けるものでもない。 単なる1つの世界観に過ぎない。 byロボと呼ばれたかった男「テキトー王(゚∀゚)」