てぃんさぐぬ花
宮沢和史
てぃんさぐぬ花
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🎤≪歌旅日記≫🏃 【34】
◆訪問地
沖縄県読谷村 むら咲むら
沖縄県沖縄市 てぃんさぐぬ花 歌碑
沖縄県那覇市 首里城公園・龍潭池
今回のテーマは、「てぃんさぐぬ花=鳳仙花を探す旅をしてから表現する」です。
この楽曲を今回の祭りで表現しようと決めたのは昨年秋頃ではあった。しかし、歌旅として実際に動き出したのが冬となって鳳仙花の時期も終わっていたので、代わりに“てぃんさぐぬ花”の象徴を探すことに。
≪本楽曲について≫🎶
沖縄子どもの未来県民会議事務局DVD『子ども応援ソング~てぃんさぐぬ花』に収録。知名定男氏の要請にて宮沢氏が共に沖縄県内のアーティストや民謡唄者に声を掛けて、収録されたチャリティーDVDである。あらゆるステージで本楽曲を歌っている宮沢氏であるが、『てぃんさぐぬ花』のタイトルにおいて宮沢氏の名で正式リリースされているソフトはこの「沖縄こどもの未来基金」への寄付の返礼DVDのみである。
本楽曲は沖縄で最も有名かつ愛されている教訓歌で、詠み人知らずの民謡である。50年前の本土復帰に「沖縄県民の歌」が県民歌として制定されたが、本土復帰40周年の2012年に改めて県民愛唱歌を制定する際に沖縄県民の圧倒的支持を得て本楽曲が新しい愛唱歌として制定された。
そのメロディを聴けば、県外だろうが、地球の裏側だろうが、沖縄を愛する人なら誰でも沖縄文化の神髄に触れることができる器の大きな曲である。それは人々の潜在意識に訴えかけるような、集合的無意識にある元型のようにも感じる。
一番の歌詞について、歌碑に書かれている説明を一部抜粋すると、
親の教えとは、人の道である。
人の道とは弱い人を助けて、自立して歩む道である。
民は「孝順父母」のこころを「てぃんさぐぬ花」として結実させ、礼楽の極みとした。
そのたおたおとした旋律は、すべての人の唇に乗り、
歌い継がれ、血肉化し、はたして国土の悠久の魂に昇華したのである。
とのことである。
10番まである長編だが、全体を通すと親や目上の人の言う事を聞きなさいってよりも、善く生きる為の先人の知恵といったニュアンスである。これを沖縄では黄金言葉と称する。戦争や政治などに翻弄される依然に、台風や津波などの自然災害による抵抗しがたい破壊を受け入れざるを得ない島である。理不尽に奪われた悲しみや怒りの苦しみに捉われた人に、それでも善く生きていかねばならない事の導きを伝えていく意義があればこそ伝承されていったのかもしれない。
そして現代、新型肺炎の蔓延により人類の無尽蔵な繁栄と交流にブレーキがかかり、目に見えない罪や穢れの疑心暗鬼に世界中が怯えた。また、強国の利権や主義主張により直接的な暴力が行使された。その暴力の応酬は落としどころを掴めないまま、取り返しのつかない傷をその大地と民族に刻むまで混沌は止む気配がない。
恥の文化である日本は混沌酔いをしていて、数年前には村八分にして死に追い詰めるまでした感染忌事がいまは「ええじゃないかええじゃないか」と流され軽く扱われる。でも、マスクは数年先まで外される事はないだろうという、滑稽さ。
危険なのは原発の核汚染より
都会のまごころの汚染
都会での親切はいらない
コロナ禍の買占め
転売ヤーの行列
煽り拡散してるマスコミの罪
勝ち組、負け組、数字主義により搾取して高さを求めて
「奪われるほうが悪い」
その精神で一部の人間が利権を独占
でも、その栄華は永遠ではない
後に残るのは傲慢な精神の吹き溜まり
それが利己的意思の精神汚染
この世界は、自分で自分の責任を取る人間と、自分の責任を他者になすりつける人間の2種に分かれる。
かつて私が都会暮らしをしてた時の話。職場のゴミ箱が酷いありさま。片づけていたら「やるな」と先輩や上司から怒られる。「お前がずっとやることになるぞ」「(だから)親切はいらない」とまで言われた。つまりは、「もっと立場の弱いやつにやらせろ」「最上の者が指名するまで見て見ぬフリをしろ」ということ。
有りあえない…異常だと思ったが、都心にいけばいくほど、街の精神がそれにまみれていることに気付いた。全ての人がではないが、それが巨大になると誰もやらなくなる。傲慢さが善とされているがゆえの蟻の集団の逆論理。
飲み食いしたものをその場に放置。迷惑行為をしている人間も放置。迷惑行為をしている人間に勇敢に抗議した人間が暴行されても放置。納めた税金や年金が一部の人間の貴族性のハリボテの為に不正利用されていることでさえ、「いつかだれかが対処するだろう」と考えている。
「いまが楽しければ手段はなんでもいい」「私さえ苦労しなければよい」「弱者に手を差し向けるのは無駄」の精神被ばく。「誰から生まれ、どう生きて、次にどう渡して繋いでいくか」という世代間倫理は脱毛し吐血する。
高度経済成長、大量消費社会で傲慢さによる富を築いた者は、ゴミのような構造問題を放置してこの世を去る。空家、廃墟ホテル、廃墟施設、誰がいつ片づける❓。ハゲ山に誰がいつ木を植える❓。その懐に入った裏金のせいで、どれだけの人が、どれだけの子孫が苦しむのか。
自分の責任を他者になすりつける人間はいつまでどこまで自分から逃げるのか。その命が尽きる時に誠意の借入の一斉請求が行われて、ぬくもりの自己破産で孤独な死を迎えるまで自分とは向き合えないだろう。「私のせいではない」の最期はやっぱりお前だ、と。
SDGsとは、それらのゴミのような構造問題の後始末。ルソーの「自然に帰れ」とはよく言ったものだ。それには50年以上は掛かるだろう。ただし、紛争に巻き込まれなかったり、侵略を受けなかったらという幸運条件でのみだが。他国の領海侵犯より今日のパーティーが大事ならもう希望は…。
中心から洗浄・ろ過しなければならないのに、傲慢な精神の枯葉が詰まって進まない。『てぃんさぐぬ花』はその傲慢による精神汚染の洗浄剤となるのではないか。
誰も傷つけない、優しい唄。この唄がいつか、この島以外の多くの人の「ISLAND SONG」になれば良いのに…。でもそれは、非現実的な理想であろう。ならばせめてこの諸島の文化圏でだけでも歌い継がれて、「皆が暮らしやすい世の中でいるにはこういうことが大切なのだ」ということを教え諭し続けて欲しい。自分で自分の責任を取る人間を育んで欲しい。
世の混沌にイライラして書きなぐったがこれくらいにして、宮沢氏と本楽曲との関係について。
宮沢氏が本楽曲と初めて出逢ったのは、1990年に偶然に手に入れた『沖縄民謡大会』というカセットテープから。一番最初に心打たれた歌とのこと。
その後、私が確認できる記録だと、91年の矢野顕子さんのライブゲストの際や『出前ツアー』の沖縄公演、『’92 夏祭り』の『ひのもとのうた』の前フリ、93年の『気に入った曲ができたから』ツアーの沖縄公演、94年の『CLUB ASIA』、95年の伊江島LIVEでの『いいあんべぇ』の前フリとしてなど。
THE BOOMとしての最終アルバムTHE BOOM HISTORY ALBUM 1989-2014〜25 PEACETIME BOOM〜』の新録『中央線』の間奏にて本楽曲がハーモニカで演奏されていたりはするが、THE BOOMおよび宮沢氏の名でのCDの正式リリースはない。
唯一、宮沢氏の名でソフト化されているのが先に述べたチャリティーDVD『音楽で届ける♪子供応援ソングプロジェクト』である。
沖縄県の子供の貧困率は全国1位である。その現状に対してまず動いたのが知名定男氏で、宮沢氏に声を掛けて事前事業開始。2019年に沖縄県内31人のアーティストが集まり、宮沢氏のプロデュースの元、『てぃんさぐぬ花』を歌い届ける。そのDVDは一定の寄付をした人に進呈される。
「未来というのは、こうあったらいいなぁと描く所へみんな歩いていくでしょうから、ぜひぜひ、子供たちも僕ら大人も明るい未来を描きたいと思います。」
本DVDの中の宮沢氏の言葉だが、それこそが『てぃんさぐぬ花』を創った名も知らぬ歌人の想いではないだろうか。本質を捉えた宮沢氏の理念と行動には常々、感心し感謝する。
ちなみに余談だが、2004年のGACKTと知名定男氏の『島唄』は『てぃんさぐぬ花』から始まる。これをきっかけにして宮沢氏と知名定男氏は交流を深めていく。そして、知名定男氏の一時引退からの復帰コンサートでは「せがれです」と宮沢氏が紹介されている。本楽曲の歌詞の意味を理解した上でなら、この一連のエピソードの運命的な導きにとても感動する。弟子を越えた父子として、伝統文化の継承とアイデンティティの発展のバトンを託されたのである。
そして近々では、昨年12/9に行われたプレミアムメンバーシップイベント『ヤクシクドゥクル』にて本楽曲が宮沢氏によって歌われている。なんと、それは私がリクエストしたのだったー‼️うぉぉぉぉぉ‼️すげぇ‼️
他のファンからの「三線教室に通い始めたが、何か上手になるコツはありますか?」という質問への応答においての、コツを伝授する場の教材としてではあったけれど。それでもまぁ、私の想いを込めたリスエストメッセージを読んでくれて、しかもそれに応えてくれたわけだから、本当にありがたいことである。声が届くMIYAZAWA❗サイコー❗👍
この時のメンバーシップライヴでは私がリクエストした『てぃんさぐぬ花』『十六夜月に照らされて』の2曲ともが歌われたので、本当に感動したなぁ。ストリーミングで観たから、部屋の中でガッツポーズしたり「よしゃぁ!」とか言えたし。会場には行けなかったけど、部屋で観るというスタンスの良さを実感した瞬間だった。会場にいたら声も出さずに(出せない)泣いちゃってたかも。てへ。
今後もまたどこかで宮沢氏が本楽曲を歌ってくれるだろうし、そのバトンを受けた若きウチナーアーティストが沖縄の子供たちの未来を想い歌っていくだろうし。本楽曲が沖縄の連帯精神として、50年後も100年後も永く太く歌い継がれて欲しいと願うばかりである。
≪歌旅について≫🏃
当初はセットリストに無かったが宮沢氏のラジオ『琉球ソングブック』にて、知名定男氏との共同プロジェクトで本楽曲を歌ったDVDの事を話されているのを聴き、前回の『バイバイ沖縄』のその先の話として最適だと思い、歌旅にすることに。
まず昨年10月に、沖縄県庁の沖縄県子ども生活福祉部子ども未来政策課に赴いて、直接に寄付することにした。もちろん本DVDを入手したいという下心は当然あるが、それだけでない素直な支援の気持ちもある。
その貧困児童は、コロナ禍になってさらに増えたように思う。色あせたキャラTを着たキジムナーみたいにザンバラ髪の女子が路地に佇んでいるのを見た時はかなり心を痛めた。そのチョット前まで都会にて上級な暮らしを目の当たりにしていたからこそ強く。その想いの丈を県庁職員さんに聴いてもらった。
寄付は振込のみとのことで手渡しは出来なかったので振込用紙を頂いて後日と伝えると、本DVDを渡してくれようとしてくれたがそれは振込をしてからと丁重に断った。発送作業をさせることになるが、すまないな職員さん。順番が逆だとバチが当たりそうなんだよ。
『バイバイ沖縄』の歌旅がひと段落した昨年12月頃から本楽曲の歌旅を開始。鳳仙花を撮影できれば話は早かったが、生憎、花の見ごろは9月ということでなかなか見つからない。
県内各所の植物園でビニールハウス栽培とかしてないか聴いたが皆無。そもそもコロナ禍による観光業減退期にそこまではしないだろうし。紅型とかガラス細工でも良いからと裾野を広げる中で、沖縄市の老人ホームに創られた本楽曲の歌碑を訪れる。付近に鳳仙花が咲いてないか、なんかモニュメントはないか探したが見つからず。
年明けて、琉球村にて鳳仙花で爪を染める『てぃんさぐぬ花』のワークショップをしていたとの情報を入手したのでとりあえず出向く。冬のコロナ禍の琉球村はやはり来場者少なく。琉球村内は閑散としていたが、だけどそれが強烈ない異世界感を生み出していた。この瞬間しかない貴重な体験に心から感謝した。
そういう状況でも、精一杯にもてなしをしてくれる琉球村のスタッフに感動。エイサーを堪能した後、もてなし茶を振る舞ってくれたカンプーネーネーのスタッフさんに「てぃんさぐぬ花のイベントはまだやっているか❓」「鳳仙花はまだ咲いているか❓」をダメ元で伺ったところ、もちろんイベントはやっていないし、鳳仙花は緊急事態宣言の休業中の最中に枯れてしまった(そもそも季節じゃないし)とのもっともな答えを頂いた。残念ではあるが、こんな厳しい状況でも運営してくれている琉球村への感謝の方が大きい。
とりあえず別の歌旅の撮れ高はあったので、せめて琉球村で沖縄そばを食べようと注文したところ、あった❗てぃんさぐぬ花があった❗。なんと、沖縄そばを乗せたおぼんの台紙に『てぃんさぐぬ花』の歌詞と鳳仙花の写真が載っている。まだ残っていたか…と、探していたものに不意に出逢えた喜びと共に、美味い沖縄そばを堪能した。
その琉球村の訪問をした時に、近くにある“むら咲むら”にも行ってみようと急に思いつき足を運んだ。
県内に鳳仙花がまだ植生していないか、ビニールハウスのある植物園に問い合わせをしたり、『てぃんさぐぬ花』のモニュメントなどがないか観光地に問い合わせをしていた際に、むら咲むらで電話対応をしてくれた方がとても親身になってくれて、「小学校の花壇とかにあったりしますよね~。私の母校にはありましたよ」などのアドバイスをくれた。
教えてもらった小学校に問い合わせたが、やはりコロナ禍ということもありそういった整備も行事も中止しているとの返答だった。その時に鳳仙花の探索は終止符を打ったが、せっかくなんで親身に対応してくれたむら咲むらに感謝の気持ちを込めて訪問することにしたのだった。
むら咲むらはNHK大河ドラマ『琉球の風』の跡地を利用したテーマパークで、冬の間はランタンフェスティバルという台湾のランタンがそこかしこに吊るされているイベントをやっている。実は私は初来園である。おひとり様だとなかなかねぇ。ぐはぁ。
むら咲むらの駐車場は道を挟んでショップやレストラン側にあるのだが、なんとレストランにてTHE BOOMの4人一緒のサイン色紙を発見。なんかのファンイベントの時のかな。なかなか貴重である。
いざむら咲むらに入園。入ってすぐ、頭上にクラゲのような赤いランタンが沢山ユラユラ浮いている。その下を潜りぬけた先にはランタンたっぷりの琉球家屋と石畳道。冬の平日の昼間とあって人影が少ない。それがまた強烈な異世界感を生む。
ランタンと言うくらいなのでメインは夜のロマンチックさなのかもしれないが、いまの私にとっては日中ののどかさが心地よい。短い時間の訪問ではあったが、神秘的な体験ができたと大満足であった。(この時はまだ、むら咲むらをこの歌旅にしようとは思っていない)
その後日、再び琉球村を訪れて、ついには例のおぼんの台紙を頂けた。店員さんが「そんなの対したことないよ~」て言ったけど、私はいまの沖縄でこの台紙がいかに価値があるかを感謝を込めて説いた。『墓標』の歌旅の時に実感したが、コロナ禍で観光業が壊滅的な打撃を受けている状況で、伝統文化をアピールする場所や物品が激減している。そんな状況だからこそ、伝統文化の火を絶やさずに灯し続けていてくれる素朴な想いに感動するのである。
そのむら咲むらへの旅を、鳳仙花を探して電話した時に親切に対応してくれたとうエピソードを交えてツイートしたところ、「覚えてます~私です~」とその方が声を掛けてくれた。その時に「あぁ、『てぃんさぐぬ花』はウチナーンチュのチムグクル(真心)の中にこそあるのだなぁ」と感心をもって理解できたので、歌詞の1番の動画はむら咲むらの紅いランタンにすると決定。
しかし、そこからまた動画表現が停滞。2番の歌詞に添う歌旅を見い出せない。星空の撮影なんてそうそう上手くいくわけがない。大宜味村にあったプラネタリウムを撮影するか、そもそも許可もらえるのか。当て込みに根拠が薄く、不安ながらも導きが来ると信じて放置。
そんな停滞の中、なんと、3月初旬に首里城にて『首里天ぬ群生(すいてぃんぬむりぶし)』というライトアップイベント開催の朗報が❗キター❗。さらに、龍潭池にLEDボールを浮かべる『天の川(てぃんがーら)プロジェクト』というイベントも開催されるという。「これだ❗」と確信していざ出向く。
イベント初日、生憎の空模様。子供たちがLEDボールを投げて設置するオープニングイベントが催される。新型肺炎の蔓延防止措置の解除にて、グレーな日々を過ごしてきた子供たちに素敵な体験をして欲しいという運営側の心意気に感動する。沿道に中高生も大勢いる。楽しいこと、キラキラした事をもたらすのは大人たちの務めだよ。
龍潭池に浮かぶボートが淡々と2000個のLEDボールを放つ。時間がかかる。夕方だがまだ明るい。程よくLEDボールが放たれる頃を見計らって、腹ごしらえをすべく一旦離れる。そうしたら、激しい風雨。あちゃ…こりゃ残念だなぁと思いつつ、再び龍潭池に戻る。
傘を差しつつ龍潭池に戻れば、なんと私一人。しかも、青色のLEDボールは強風に煽られてガンガン動く。その様のなんと面白いこと。星が流れて銀河系が廻るようだった。
岸に寄ったLEDボールを散らそうとボートが奮闘。それを近くで観たかったので城西小学校付近まで移動。龍潭池の遊歩道は当日立入禁止になっていたが、「入口付近の公衆トイレまでは入れるから行ってみなよ」と親切な方の導きを受ける。
公衆トイレ脇の原っぱから見た景色は、強風で岸に集められたLEDボール、公園の紅い照明、向こう岸の道路の信号の緑、流れる車のライトと、まさに宇宙だった。風雨に濡れながらも、その日その瞬間にしか見れない奇跡の天の川に出逢えた事に感動。その後は風雨も落ち着き、龍潭池に悠然と星々が浮かぶ幻想的な景色を堪能できた。
翌日は晴れで、古曳門周辺の『首里天ぬ群星』ライトアップを堪能。思ったよりもこじんまりとしてたかな、ハハ。たまたまだけど、目の前に一瞬だけ人影が消えた時があって、それを撮影できたのは良かった。表現が遅延していると憂鬱にはなるが、こういう“縁”と“機”の導きがあるから降りてくるまでじっと信じて耐えられるのよね。感謝。
そして3月末、いざ動画を製作し始めるとむら咲むらからのインスパイアが溢れて一旦完成した動画を破棄して、ランタンフェスティバル最終週に撮影をし直す為に再訪問。夕方に差し掛かり満足いく撮影ができたので帰ろうとした時、偶然にも入口の紅いランタンだけが点灯する場に遭遇。 ゆらゆらと揺れる灯の燈ったランタンの情熱的な紅さに感動。本楽曲にある降り注ぐような慈しみを感じられた。これにて本歌旅終了。
動画に映える鳳仙花や満天の星空そのものは見つからなかったが、その代わりに「てぃんさぐぬ花はウチナーンチュのチムグクルの中に…」というより深い感動と出逢えた大納得の歌旅であった。
≪動画について≫🎥
今回は曲調とランタンの揺れを合わせるべくスローモーションを多用。新しい技術としては徐々に遅くなるように、速度の違う同じ動画をうまく繋げた。ただ、速度1/2とかにするとどうしても滑らかさが損なわれるので、それは少し残念かな。でも左右パンの並行移動を低速でやれる自信はない。
むら咲むらには沢山の種類のランタンがある。私にとってはそれはまさに花々のよう。その中でも紅いランタンに絞って、鳳仙花のイメージで構成。イントロ部分の揺れるランタンから刺す太陽の光は、逆光になったとはいえ良い演出ができたと思う。
間奏の歌碑の撮影は、石碑に刻まれている歌詞が画面に垂直になるように何度も撮影。実は歌碑の前に花壇があり、その間の狭いスペースでマトリックスよろしく仰け反るように撮影してる。腰がw
龍潭池の天の川は、風雨にて発生したLEDボールの偏りを逆に生かす撮影が出来た。悪天候がゆえに見物客が少なかったのも良かった。その翌日の首里天ぬ群生ライトアップは人手増だったが、奇跡的に人影が少ない時を撮れた。スローモーションにしたから尚更に風景として生かせたのは良かった。
表現イメージが湧くまでに数か月掛かり、撮り直しやカット調整・色調調整も何度も何度も。でも、そのおかげで浮遊感のある納得いく動画が出来て良かった。でも、nanaにアップする時に画質を落とさないといけないのは残念ね~。元動画はもっと綺麗よ。
≪伴奏について≫🪕
このkanakoさんの伴奏は実は私が依頼したのであった。流石の技術力にて幻想的なピアノ演奏をして頂けた。特にこのイントロの浮遊感は、後々に動画表現の方向性を決定づける大きな要素となった。音量調整にて関わっている。
いざ、私が表現するにあたってはやはり三線を乗せたいところ。調弦をしてキーを合わせるが、弾き方さえ自己判断。
当初は間奏から最後までのメロディラインを弾く構成だったがいざ歌ってみるとそれが煩かったので、同じピアノ×三線構成の『沖縄に降る雪』の経験を参考にアクセントのみを演奏するようにした。2番が夜の風景のイメージだったから、ピアノの柔らかい黒さを生かせて良かった。
≪歌入れについて≫🎤
宮沢氏はこの楽曲を多く歌ってきているが、このキーで歌ったのは聴いたことが無かったので、私の中の宮沢節研究を深堀りして発声を調整。
歌い出しに“n”を大目に入れる、喉が閉まらないように口角上げを意識するなど、ど低音歌唱のコツを意識。「読みば読まりしが」の「が」は、このキーかつピアノ歌唱であれば宮沢氏なら「ンがァ」とアクセントを付けて歌うだろうと想定して私なりのこだわり表現。
流石に幼少期から慣れ親しんだ楽曲なのであっさりと納得。でも、だからこそこうして真剣に向き合う事ができた機会に心から感謝したい。
素敵な伴奏にて歌わせて頂いたkanakoさん、ありがとうございました。
仮想「宮沢和史×鬼武みゆき」の『てぃんさぐぬ花』として、まさに理想的なサウンドが仕上がったと感動しています。依頼してから弾き上げてくれるまで凄く早くやってもらったのに、あれから半年近くも経ってしまいましたよ。でもその間にこのサウンドの意義がどんどん大きく高くなっていったので、終わり良ければ全て善しの「これでいいのだ」でした。感謝です。
≪最後に≫🌺💅🌌👪
先日の沖縄復帰50周年記念式典では、全国知事会の会長さんと那覇高校合唱部により本楽曲が2回歌われた。この曲を創った名もなき唄者もグソー(あの世)で誇らしく思っていることだろう。そしてその名もなき唄者と同じく、この式典で作曲した曲を2曲歌った誉れな者がいる。それは宮沢氏である。
宮沢氏は記念式典レセプションで『太陽アカラ波キララ』と『シンカヌチャー』の2曲を歌い上げた。式典参加の公表も直前になってからだし、那覇高校合唱部の『太陽アカラ波キララ』の途中参加は完全サプライズ。那覇市制100周年の記念コンサートの時は、合唱部と一緒には歌わなかったから良い意味で油断した。
『シンカヌチャー』を歌い上げた後に、宮沢氏にしては珍しく「ありがとうござましたぁ!」と少年のように声上げて挨拶していた。国家行事を締める重要な役目を担ったのは彼の音楽家人生でも大変に栄誉あることだったろう。そして、沖縄と出逢えたこと、沖縄と愛することの喜びと感謝がとても伝わった。私としても本当に嬉しいし、宮沢氏を誇らしく思う。
※トップ画像は、琉球村の『てぃんさぐぬ花』のおぼん台紙。
#宮沢和史 #てぃんさぐぬ花 #音楽で届ける子供応援ソングプロジェクト #沖縄子どもの未来県民会議 #琉球村 #むら咲むら #龍潭池 #首里天ぬ群星 #沖縄復帰50周年記念式典 #沖縄に恋した宮沢和史祭り
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12commnets
- ニヤ☆ゆっくり聴きnanaさせて下さい〜💦☆
- 清水はこべ(箱) ★コメント・返信休みます拍手を辿ってお伺いしました。エリスさんと「一座」を共同執筆している者です。 恐らく、エリスさんの投稿から辿って下さったのだと思いますが、主題歌のMVのみならず、物語まで読んで下さって(エリスさん執筆分のみならず、私の書いた分まで!)、ありがとうございます。 あんなに丁寧に読んで下さる方は、一体どんな方なのだろうと思ってお伺いしたのですが、とても丁寧に作品をお作りになっていらして、感動しました。 映像がとにかく美しく、動画編集を少し齧っている(と言っても、iOSのiMovieで出来る範囲の簡単な編集しかしていないのですが)身としては、勉強になりました。 そして、キャプション拝読しました。 沢山の想いを込めて、大変な時間の掛け方をして作られたサウンドと動画……と、こんな風に簡単な言葉で括ってしまうのは、憚られるように思いました。きっとこの作品は、ニヤさんにとって、ご自身の人生の一部といいますか、精神のひとかけら、というものなのだろうな、と。 私はぼんやりと生きており、キャプションの文章にお書きになっている数々の痛みについて、語る言葉を持ちません。語る資格もないように思います。 でも、そんな私でも、ただ、こちらのサウンドと映像の美しさに心震える時間を持たせて頂けた事に感謝します。ありがとうございます。
- ニヤ☆ゆっくり聴きnanaさせて下さい〜💦☆
- うか🐾城村優歌🐈パソコンから拝読! でも時間がかかって、まだ「むら咲むら」のところまで😊 でも、胸の熱くなるお話でした。声の届く宮沢和史、すごいね🎉🎉🎉 残りはまた時間をとっておじゃまします。どこまで読んだか、栞の代わりにコメント置かせてください。返信不要ですよー😊
- ニヤ☆ゆっくり聴きnanaさせて下さい〜💦☆
- kanakoなんてコメントしたら良いか分からなくなるくらい、全てがどんどん洗練されてくし…。 感動しました。 特に、動画がサウンドによく合ってて何度も何度もみてしまった。 優しくて癒されます。 キャプションも、ニヤさんらしくて何度も読み返してしまいました。 「うんうん」…って納得してしまうような中身の文章で。 アップしたタイミングも、内容も、もう何も思い残すことないだろうなあ…という素晴らしい作品✨ こんな作品にピアノ伴奏で関われて、とても嬉しいです。
- ニヤ☆ゆっくり聴きnanaさせて下さい〜💦☆
- エリス羽衣いつもながらニヤさんの丁寧にこだわりぬいた作品づくりは素晴らしいです。 出来上がったものだけじゃなくて、その過程を細かく記録してくれているので、ニヤさんの数ヶ月間を垣間見ることもできます。 冒頭のランタンの美しさ!全体に幻想的な雰囲気があって良いですね~✨✨✨ これをひとりで数ヶ月間にわたって作っているというのがすごい。 自分の話で恐縮ですが、金曜日夜に、この3か月ほど何人かのフレンドさんたちと一緒に作っていたサウンドをアップします。 それぞれのこだわりのすり合わせ、そういうやりとりも刺激的でした。 よかったら聴いてくださいね😊
- ニヤ☆ゆっくり聴きnanaさせて下さい〜💦☆
- うか🐾城村優歌🐈素晴らしい映像とサウンド👏👏👏👏👏 文はまたゆっくり拝読に来たいです。nanaの文字が大きくなるといいな(iPhoneってすごく小さいんですよね…😢)。
- ニヤ☆ゆっくり聴きnanaさせて下さい〜💦☆
- ぱっかん♡正直読んでないです。声聴かせてくださいね♪