紫のハイウェイ
COOLS クールス
紫のハイウェイ
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夜明け前の むらさきの Highway
オレの心を 今 走らせ
Oh my baby yes my lover
会いにいくんだ すぐに
I love you with my heart
星さえ うすれて
背中にうける オレンジの 輝き
お前のもとへと 心 走らせ
Oh my baby yes my lover
会いにいくんだ すぐに
I love you with my heart
全てを 忘れて
Oh my baby yes my lover
会いにいくんだ すぐに
I love you with my heart
全てを忘れて
🛵🏍🛵🏍🛵🏍🛵🏍🛵🏍🛵🏍🛵🏍
結成からすでに40年以上経っているが、音楽性やファッションなど一貫して変わらず活動を続けている。
元メンバーに舘ひろし、岩城滉一、水口晴幸(ピッピ、PITPI)、横山剣など有名芸能人を輩出している。
BUCK-TICK、藤井フミヤなど、その影響を受けたミュージシャンは数多い。
当初は、そのファッションや成り立ちから「不良」を売り物にした。
またジェームス藤木は数多くのミュージシャンに楽曲を提供している。
バンド結成当初はコンサート会場にファンの暴走族が集結したり、その他のファン層も不良少年が多かった。
舘ひろしと岩城滉一の出会い
飲食店で食事をしていた岩城滉一に舘ひろしが歩み寄り、身構えた岩城に「あのバイク、君の?」と話しかけ、バイクの話題で意気投合する。
当時、舘はバイクの免許を持っておらず、岩城に勧められ、岩城のバイクに二人乗りして教習所に通った
結成(バイクチーム「クールス」
東京原宿において1974年12月、舘ひろしをリーダー(チーム内での呼称は「ボス」。ただし水口晴幸(ピッピ、PITPI)のみ「大将」と呼んでいた)に、岩城滉一(同じく、チーム内での呼称は「コーちゃん」)をサブリーダーに、および岩城の学生時代からの友人であった佐藤秀光らで結成されたモーターサイクルチームが原点。
結成に際して「このチームはリーダー(舘ひろし)の独裁により運営される」という血判状を作成したという。当時舘ひろしはカワサキのZIIに乗っていた。
チーム結成当時の人数は21人で、メンバー全員リーゼント・黒の革ジャンパー・黒または青のジーンズ・黒のオートバイで統一された。「黒」というカラーにこだわったのは、舘ひろしが学生時代にラグビー部の主将をしていて、ラグビーNZ代表「オールブラックス」が好きだったからといわれている。表参道の神宮前交差点近くにあった原宿レオンという多くのクリエイターが出入りするカフェが溜り場で、店の前に黒いオートバイを数台並べている様は大変注目を集めたという。
1975年4月13日、矢沢永吉率いる「キャロル」の解散コンサートで親衛隊を務める。これはローリング・ストーンズがヘルズ・エンジェルスを親衛隊にしてコンサートを行なったことに影響されて、矢沢が舘に同じような演出をしたいと持ちかけたもの
キャロルの解散コンサートを収録したDVD(一部カット編集)にはバイクチーム時代のクールスの走行場面が映っており、また、岩城滉一がキャロルとの思い出を語ったり、舘ひろしがキャロルメンバーにインタビューしたりする場面などが収録されている。この活動によりクールスは一躍脚光を浴びた(キャロルよりクールスを観ていたという客がいたほど、
当時は芸能人ではなかったにもかかわらず、注目されていた)。なお「クールスはキャロルの親衛隊」であったが、個々の交友や接触はあったものの両者は対等な関係であり、また当時はあくまでロックバンドとそれを支持するバイクチームの関係であった。よって「クールスはキャロルの弟分バンド」「矢沢永吉は舘ひろしの兄貴分」という認識は誤りであり、またその後のクールスの音楽性もキャロルとは異なるものであった。
#紫のハイウェイ #COOLS #クールス #LBB
Comment
1commnets
- ゆずまめ☆コラボありがとうございます(*´∀`*)